イオンシグナルの謎 カルシウムの40億年を渉猟する
唐木英明 編著 (メディカルレビュー社) ISBN4-89600-302-0 1800円
書評 (東北大・医・分子薬理学 柳澤輝行)
よい問題設定とその解こそが科学の進歩に寄与することができるといわれている。それ故、謎とその解へのプロセスは科学的精神の骨格である。初学の人や若手研究者はまずどんな謎があるのかを知らなければならない。この本の編著者の企画による、第1回若手研究者のための薬理学セミナー「イオンチャネルとポンプの進化」が、生命・生体機能の魅力を知ってより深い興味を薬理学に持ってもらうことを目的として、一年前に開かれた。会場は満席であり、演者は十分にのり、質問・討議もホットであった。本書はその時の興奮をもう一度甦らせてくれた。この本は題名の通りに謎に満ちたテーマ設定で、着眼点が新しく時には意表を衝くような展開をしており、思わずどんな答が用意されているのかと、先を追って読んで行きたくなる。そして、カルシウムシグナリングやイオンチャネル・トランスポーターに影響する薬物・毒物を薬理学教科書とは異なった切り口で接することができて楽しく有益であった。
本書は6章からなり、カルシウム・シグナルの謎、トランスポーター、非選択的陽イオン、カリウム、カルシウム、ナトリウムチャネルの順で、太古からの細胞や生物が解決しなければならない生存を賭けた営みを進化の流れで追う順番と構成になっている。薬理学者であろうとなかろうと生命現象に携わるものは地球の歴史、化学進化、分子進化、生物進化のそれぞれの研究の動向に注意をはらう必要があることをあらためて思い起こさせる。本書の冒頭に引用されている、集団遺伝学で有名なドブジャンスキーの言葉は、誰もがかみしめなければならない言葉であろう。
スフィンクスの謎かけのように、例えば、「生命が誕生したとき、最初に必要であったのは核酸や蛋白質の拡散バリアとしての細胞膜であった。しかし、この膜には水や基質や老廃物を通す機能も必要であったはずである。最初のトランスポーターはどのようなものであっただろうか?」や、「すべての細胞はカルシウム濃度を低く保っている。これはカルシウムが生命体にとって猛毒であるためと説明されている。しかし、カルシウムは本当に猛毒であろうか?」と問われて、それぞれの識者は自分なりの考えを持っているはずであるが、この書ではどのように解かれているか、さらにはアポトーシスまで展開されているさまは、それこそ読んでのお楽しみである。
エントロピー増大にあらがうものとして細胞膜が生じたばかりでなく、生命維持機構に必須の選択透過性をその細胞膜は獲得した。「そして、ポンプ膜からチャネル膜への変換が、エネルギー膜から情報膜へのパラダイムシフトを実現した。」と述べてあるところでは、うなずくとともに思わず考え込んでしまう。
また、常に大きな世界に眼を向けよと、警告している文章もある。「生命の進化は生息の場である地球環境の変遷と切り離せない。めざましい深化を遂げている地球の歴史変遷に関する研究がここで述べた我々が今想定している生物学の常識を覆す可能性もあるだろう。」
そして、著者の一人が以下のように挑発している。「以上、謎解きで話を進めてきたけれど、どうだったかな?私なりの答に納得のいかない点も多いと思うが、もっとスマートな解答は君たちにまかせよう。」
2色刷りでコントラストもしっかりしている図が計83枚、表は12もある。価格は広く多くの方に読んでもらいたいとの意思の表れであろう。囲み記事やフットノートも充実していて、教科書や辞書で間に合わないことも解説され、理解を助けている。他の章の内容とともに照らし合わせて用語に注意しながら読者が考えれば、現代生物学の主要な論点とその研究成果がおのずと概観でき、薬理学や関連領域にとって重要な細胞膜機能やシグナルの見方が身に付くようになっている。「生物学の面白さ」を知るという意味でよい企画・実演とごちそうのあるシンポジウム(饗宴)のぜいたくさを味わえること請け合いである。
柳澤輝行
東北大学医学部分子薬理(旧 第二薬理)
東北大学大学院医学系研究科
生体機能制御学講座分子薬理学分野
980-8575 仙台市青葉区星陵町2-1
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