野生動物医学教育とシラバス(2000.6改正)

 


日本における野生動物医学教育の確立に向けての提言(要約) (2000.6改正)

近年、獣医学における野生動物医学分野への社会からの要請が強まっている。この傾向は獣医系大学への入学生の志向にも顕著に表れており、環境問題の一分野である野生動物の保護に関心を寄せる入学生が少なくない。しかしながら、すべての獣医系大学に共通した包括的な野生動物医学教育プログラムは未だカリキュラム上にみられていない。今後この点を是正し、社会や学生からの要望にも応えられるように、獣医系大学において適切な野生動物医学教育が行われる必要がある。

地球環境の悪化に伴い野生動物の絶滅はかつてない速度で進行し、このまま進めば人類の生存をも危うくする危機に瀕することが予測される今、種の多様性の確保や遺伝子資源の保全は世界的な重要課題となっている。この問題に対して、世界各国の大学や研究機関による国際的な対応がなされる中、野生動物医学からのアプローチも盛んである。そのような状況の中、日本の獣医系大学で野生動物医学の教育プログラムが組まれ、専門的な知識や技術を備えた人材の育成が今求められている。

最近の鳥獣保護法の改正により、将来的には野生動物保護行政に携わる専門家が増え、その中に野生動物医学専門家の配置が求められるであろう。野生動物医学教育を受けた学生が、野生動物の保護管理および救護活動を実践する専門家として技量を発揮する日もそう遠くない話と思われる。一方、獣医生態学に関する教育は、学生の職業選択に拘わらず獣医学教育の中で必要不可欠な基礎科目として位置付けられるべきである。

野生動物医学教育の柱は、動物の生体機構のしくみを深く理解しながら、自然生態系のバランスを崩さないように環境を健康な形で保全していく知恵や知識を養成することにある。野生動物医学教育にあたって、単に産業動物や伴侶動物で確立された臨床技術や研究成果を野生動物に応用してみるというのではなく、根本的な学問教育の方向性の違いを提示する必要がある。

野生動物医学が包含する学問領域は、野生動物の保護管理を実践するための理論確立、傷病野生動物の治療と野生復帰の技術確立、致死性の感染症の予防や発生時の対処法の確立、人獣共通感染症の感染環とそのメカニズムの解明、希少動物の飼育下繁殖方法の確立、生体機構と個体群動態との関連の解明、動物園動物における臨床技術の確立、などを目指した環境科学、保全生物学、動物疾病学ならびに動物臨床医学などの分野である。

 このような理念の元に、以下のような野生動物医学教育プログラムを提言する:

 獣医生態学:低学年向 30時間2単位 必修
 野生動物医学:高学年向 30時間2単位 選択
 野生動物医学実習:高学年向 45時間1単位 選択

 

日本における野生動物医学教育の確立に向けての提言(解説)

野生動物医学教育の理念

近年、獣医学における野生動物医学の占める位置はとみに高まっている。とくにこの学問分野への社会からの要請が強まっている。その背景には、自然保護思想の普及、環境問題への関心の高まり、エコツアーなど自然派志向者の増加、メディア機器の改良による野生動物の映像化などが考えられる。この傾向は獣医系大学への入学生の志向にも顕著に表れており、環境問題の一分野である野生動物の保護に関心を寄せる入学生が少なくない。このような状況にあって、獣医系大学では未だ野生動物を主な研究対象とした講座は少ないとはいえ、多くの関連講座が野生動物をも対象とした研究に取り組み始めている。これらの研究を体系化する目的で、1995年に日本野生動物医学会が設立された。このように野生動物は、産業動物、伴侶動物、実験動物に次ぐ第4の対象動物として既に獣医学に取り込まれた感がある。しかしながら、すべての獣医系大学に共通した包括的な野生動物医学教育プログラムはカリキュラム上にみられていない。今後この点を是正し、社会や学生からの要望にも応えられるように、獣医系大学において適切な野生動物医学教育が行われる必要がある。

地球環境の悪化に伴い野生動物の絶滅はかつてない速度で進行し、このまま進めば人類の生存をも危うくする危機に瀕することが予測される今、種の多様性の確保や遺伝子資源の保全は世界的な重要課題となっている。我が国においても、ニホンコウノトリ、トキ、ニホンカワウソ、ツシマヤマネコなどのように、種の絶滅が進行し絶滅危惧種も数多く指定されている(環境庁によるレッドリスト, 1991)。その原因として、野生動物の生息地の分断や縮小、狩猟や有害駆除による過剰な捕殺、野生動物間に蔓延する致死性感染症、環境ホルモンなどの環境汚染物質の侵淫、個体数減少に伴う遺伝的多様性の低下などが考えられる。これらの問題に対して、世界各国の大学や研究機関による国際的な対応がなされる中、致死的感染症の感染環の解明、環境汚染物質の体内蓄積濃度の測定、さらには希少野生動物の人工繁殖など野生動物医学からのアプローチも盛んである。そのような状況の中、日本の獣医系大学で野生動物医学の教育プログラムが組まれ、専門的な知識や技術を備えた人材の育成が今求められている。

野生動物の周辺には、さまざまな人間活動が取り巻いており、われわれの意志決定が野生動物の生存を左右するといっても過言ではない。とくに法律による政策となると数十年あるいは数百年の野生動物の将来をも決めてしまうことになる。この点において、鳥獣保護法の改正は大きく野生動物存続の行方を変えてしまう可能性を秘めている。この法改正では、国および各地方自治体が野生動物の生息状況をモニタリングし、適正な生息数を維持していくことを謳っている。この基本原則に従えば、将来的には野生動物保護行政に携わる専門家が増え、その中に野生動物医学専門家の配置が求められるであろう。このような将来予測のもと、野生動物医学教育を受けた学生が社会に出て働ける職場として、国、地方自治体ならびに民間の野生動物関連機関が考えられ、そこで野生動物の保護管理および救護活動を実践する専門家として技量を発揮する日もそう遠くない話と思われる。一方、自然保護あるいは環境問題が社会の重要なテーマとして注目されつつある現在、獣医生態学に関する教育は、学生の職業選択に拘わらず獣医学教育の中で必要不可欠な基礎科目として位置付けられるべきである。

野生動物医学教育の柱は、動物の生体機構のしくみを深く理解しながら、自然生態系のバランスを崩さないように環境を健康な形で保全していく知恵や知識を養成することにある。したがって、遺伝子レベルから生態系レベルまで多種多様な観点から教授される必要があり、その中の動物生体内での論議には既存の獣医学で蓄積されてきた知見が十分に活用されるべきである。おそらく個体群や生態系といった広い視野で動物を眺める訓練は、既存の獣医学の中ではなされてこなかったであろうから、この弱点を克服することはこの学問教育の特徴といえる。このように、野生動物医学教育にあたって、単に産業動物や伴侶動物で確立された臨床技術や研究成果を野生動物に応用してみるというのではなく、根本的な学問教育の方向性の違いを提示する必要がある。

野生動物医学が包含する学問領域は、野生動物の保護管理を実践するための理論確立、傷病野生動物の治療と野生復帰の技術確立、致死性の感染症の予防や発生時の対処法の確立、人獣共通感染症の感染環とそのメカニズムの解明、希少動物の飼育下繁殖方法の確立、生体機構と個体群動態との関連の解明、動物園動物における臨床技術の確立、などを目指した環境科学、保全生物学、動物疾病学ならびに動物臨床医学などの分野である。これらの幅広い学問領域の教育を実践していくためには、大学を核とする専門家集団を配した教育研究体制を整える必要があり、その中で講議や実習、さらには卒業論文の指導が行われるべきである。

以上、野生動物医学教育の理念と必要性について述べてきたが、これらの教育の実践方法としては次の3段階方式が薦められる。すなわち、基礎知識養成を目指した低学年での獣医生態学の教授(講議のみ必修)、獣医学的知識や技術を汎用する高学年での野生動物医学の教授(講議と実習選択、場合によってはコース制)、さらには大学院レベルでの専門家養成を目指した高度な研究と技術修得といったものである。獣医系大学は、この3段階教育によりジェネラリスト(獣医生態学の知識も有する獣医師)からスペシャリスト(野生動物医学専門家)まで幅広い教育を展開し、社会のニーズに答えていくべきである。

野生動物医学教育シラバス(大学院教育を除く)案

獣医生態学:低学年向(カッコ内は必要時間数) 30時間2単位 必修

1.獣医生態学概論(2)
 a.生態学とは b.獣医生態学の目的
2.生物の多様性(2)
 a.生物の多様性とは b.生物多様性のしくみ
3.進化論概説(2)
 a.進化論とは b.自然淘汰 c.適応放散 d.性淘汰 e.包括適応度
4.野生動物の分類(2)
 a.形態による分類 b.染色体による分類 c.遺伝子による分類
5.野生動物のからだのしくみ(4)
 a.形態 b.機能
6.野生動物の行動(2)
 a.行動学入門 b.性行動 c.母性行動 d.摂食行動 e.社会行動
7.野生動物の社会(2)
 a.単独社会と群れ社会 b.利他的行動 c.繁殖システム
8.野生動物の生息環境(2)
a.植生 b.食物連鎖 c.バイオマス
9.野生動物の生態(4)
 a.食性 b.繁殖 c.冬眠
10.日本産野生動物の生態(2)
 a.陸棲哺乳類 b.水棲哺乳類 c.鳥類
11.野生動物の個体群動態(2)
 a.生命表 b.死亡率と繁殖率 c.環境収容力
12.野生動物の保護管理(2)
 a.個体群管理 b.生息地の保全 c.人との軋轢
13.動物生態学から獣医生態学へ(2)
 a.野生動物(獣)医学 b.動物園獣医学


野生動物医学:高学年向(カッコ内は時間数) 30時間2単位 選択

1.野生動物医学概論(2)
 a.野生動物医学とは b.野生動物医学が社会にはたす役割
2.野生動物の疾病と環境(2)
 a.生態系 b.環境汚染 c.内分泌かく乱物質
3.野生動物の捕獲(2)
a.捕獲法 b.麻酔法 c.ハンドリング d.輸送
4.野生動物の生理(4)
a.栄養 b.繁殖 c.体温調節
5.野生動物の疾病(8)
a.感染症 b.中毒 c.内科疾患 d.外科疾患
6.傷病鳥獣の救護(4)
a.総論 b.治療 c.リハビリテーション d.放逐
7.動物園獣医学(4)
a.動物園水族館の社会的使命 b.動物臨床医学 c.希少動物の人工繁殖
8.保全生物学概論(2)
 a.生物多様性の保全 b.生態系の保全 c.希少種の保全 d.普通種の保全
9.法制度と倫理(2)
 a.鳥獣保護法 b.種の保存法 c.環境アセスメント法 d.感染症予防法


野生動物医学実習
:高学年向(カッコ内は時間数) 45時間1単位 選択

1.野生動物の野外調査入門(3)
 a.フィールドワークとは b.調査法 c.環境評価
2.野生動物の観察と同定(3)
 a.哺乳類の名称 b.鳥類の名称 c.双眼鏡を使った観察
3.生態調査:痕跡探し(3)
 a.踏査 b.痕跡の同定 c.糞分析
4.生態調査:ラジオトラッキング(3)
 a.発信機の装着 b.電波の受信 c.探索法
5.生態調査:行動観察(3)
 a.行動の観察 b.行動の分類 c.行動の解析
6.麻酔法(3)
 a.麻酔法 b.吹き矢の作製 c.麻酔の実際
7.保定およびハンドリング法(3)
 a.保定 b.身体測定 c.標識
8.採血および採材法(3)
 a.採血 b.採尿 c.バイオプシー
9.動物園動物の飼育法(3)
 a.給餌 b.運動 c.繁殖管理
10.動物園動物の臨床(3)
 a.内科疾患 b.外科疾患 c.繁殖疾患
11.傷病鳥獣の救護および治療法(3)
 a.救護 b.診断 c.治療
12.傷病鳥獣のリハビリおよび放逐法(3)
 a.リハビリテーション b.給餌 c.放逐
13.野生動物の発情発見と妊娠診断法(3)
 a.発情発見法 b.交配の管理 c.妊娠診断法
14.希少動物の人工繁殖(3)
 a.人工授精 b.胚移植 c.体外受精 d.避妊法
15.野生動物の病理診断(3)
 a.病理解剖 b.病理組織観察 c.各種検査


日本野生動物医学会
野生動物医学教育ワーキンググループ
  坪田敏男(事務局長:岐阜大学)
  和 秀雄(教育プログラム担当理事:大阪大学)
  羽山伸一(教育プログラム担当幹事:日本獣医畜産大学)
  大泰司紀之(北海道大学)
  甲斐知恵子(東京大学)
  柵木利昭(岐阜大学)
  島田章則(鳥取大学)
  大西義博(大阪府立大学)
  浅川満彦(酪農学園大学)
  酒井健夫(日本大学)

事務局
 〒501-1193
 岐阜市柳戸1-1
 岐阜大学農学部獣医学科
 家畜臨床繁殖学講座
 坪田敏男
 TEL/FAX 058-293-2955
E-mail tsubota@cc.gifu-u.ac.jp


2000/1/9  メモ

獣医学会の関連研究団体の一つ、日本野生動物医学会(1995年設立;会員数 > 約800)が昨年9月14日第18期日本学術会議登録学術団体として認定されたま した。

この学会の目的は、救護・復帰技術の確立、伝染病の予防・対処法の確立、人畜共通伝染病のメカニズム解明、稀少動物の飼育下繁殖の推進、動物園動物における基礎・臨床研究の発展、生体機構と個体群動態との関連性についての解明、生物多様性の保全をめざした個体群管理などです。また教育面においても、獣医学教育の国際化にむけ、現在、充実したカリキュラ > ム作成を作成中です。このHPに掲載されている案のように、ベースは既存の基礎、臨床および応用全ての獣医学領域を網羅するものです。したがって、野生動物医学教育研究の質的向上は日本の獣医学教育の国際化と矛盾するものではありません。 どうか関心を持たれた方、是非ともこの学会に参加いただきたいと思います。学生会員も多数登録されていますので、学生への告知もお願いいたします。

なお、この学会の事務局は、岐阜大学の家畜繁殖学・坪田敏男先生であり、このML の会員でもあります。よって、入会などは彼へメールいただければ幸いですが、今 、出張中です:tsubota@cc.gifu-u.ac.jp  よって、緊急性のあるものは浅川E-mail askam@rakuno.ac.jpに頂ければ幸いです。


日本野生動物医学会(会長:高橋 貢)では、獣医系大学における獣医学教育のカリキュラムに含めるべき野生動物医学教育の理念とシラバス(ミニマムリクアイアメン ト)について縷々検討して参りました。その原案を以下に提示します。これをたたき台にして活発な討論が展開されることを願っております。また、このような教育(と くに実習)を実施する体制や施設等についても今後検討していきたいと考えております。何かご意見がありましたら、下記宛てお知らせ下さい。

日本野生動物医学会事務局
岐阜大学農学部獣医学科家畜臨床繁殖学講座 坪田敏男
TEL/FAX 058-293-2955 E-mail tsubota@cc.gifu-u.ac.jp

野生動物医学教育ワーキンググループ   
 坪田敏男(事務局長:岐阜大学)   
 和 秀雄(教育プログラム担当理事:大阪大学)   
 羽山伸一(教育プログラム担当幹事:日本獣医畜産大学)   
 大泰司紀之(北海道大学)   
 甲斐知恵子(東京大学)   
 柵木利昭(岐阜大学)   
 島田章則(鳥取大学)   
 大西義博(大阪府立大学)   
 浅川満彦(酪農学園大学)   
 酒井健夫(日本大学)


野生動物医学教育の理念

近年、獣医学における野生動物医学の占める位置はとみに高まっている。とくにこの学問分野への社会からの要請が強まっている。その背景には、自然保護思想の普及、環境問題への関心の高まり、エコツアーなど自然派志向者の増加、メディア機器の改良による野生動物の映像化などが考えられる。この傾向は入学生の志向にも顕著に表れており、環境問題の一分野である野生動物の保護に関心を寄せる入学生が少なくない。このような状況にあって、獣医系大学では未だ野生動物を主な研究対象とした講座は少ないとはいえ、多くの関連講座が野生動物をも対象とした研究に取り組み始めている。これらの研究を体系化する目的で、1995年に日本野生動物医学会が設立された。このように野生動物は、伴侶動物、産業動物、実験動物に次ぐ第4の対象動物として既に獣医学に取り込まれた感がある。しかしながら、すべての獣医系大学に共通した包括的な野生動物医学教育プログラムはカリキュラム上にみられていない。今後この点を是正し、社会や学生からの要望にも応えられるように、獣医系大学において適切な野生動物医学教育が行われる必要がある。

野生動物の周辺には、さまざまな人間活動が取り巻いており、われわれの意志決定が野生動物の生存を左右するといっても過言ではない。とくに法律による政策となると数十年あるいは数百年の野生動物の将来をも決めてしまうことになる。この点において、鳥獣保護法の改正は大きく野生動物存続の行方を変えてしまう可能性を秘めている。この法改正では、国および各地方自治体が野生動物の生息状況をモニタリングし、適正な生息数を維持していくことを謳っている。この基本原則に従えば、将来的には野生動物保護行政に携わる専門家が増え、その中に野生動物医学専門家の配置が求められるであろう。このような将来予測のもと、野生動物医学教育を受けた学生が社会に出て働ける職場として、国、地方自治体ならびに民間の野生動物関連機関が考えられ、そこで野生動物の保護管理および救護活動を実践する専門家として技量を発揮する日もそう遠くない話と思われる。

野生動物医学教育の柱は、動物の生体機構のしくみを深く理解しながら、自然生態系のバランスを崩さないように環境を健康な形で保全していく知恵や知識を養成することにある。したがって、遺伝子レベルから生態系レベルまで多種多様な観点から教授される必要があり、その中の動物生体内での論議には既存の獣医学で蓄積されてきた知見がフルに活用されるべきである。おそらく個体群や生態系といった広い視野で動物を眺める訓練は、既存の獣医学の中ではなされてこなかったであろうから、この弱点を克服することはこの学問教育の特徴といえる。このように、野生動物医学教育にあたって、単に伴侶動物や産業動物で確立された臨床技術や研究成果を野生動物に応用してみるというのではなく、根本的な学問教育の方向性の違いを提示する必要がある。

野生動物医学が包含する学問領域は、傷病野生動物の治療と野生復帰の技術確立、致死性の感染症の予防や発生時の対処法の確立、人獣共通感染症の感染環とそのメカニズムの解明、希少動物の飼育下繁殖方法の確立、生体機構と個体群動態との関連の解明、動物園動物における臨床技術の確立、などを目指した環境科学、保全生物学、動物疾病学ならびに動物臨床医学などの分野である。これらの幅広い学問領域の教育を実践していくためには、大学を核とする専門家集団を配した教育研究体制を整える必要があり、その中で講議や実習、さらには卒業論文の指導が行われるべきである。

以上、野生動物医学教育の理念と必要性について述べてきたが、これらの教育の実践方法としては次の3段階方式が薦められる。すなわち、基礎知識養成を目指した低学年での獣医生態学(仮称)の教授(講議のみ必修)、獣医学的知識や技術を汎用する高学年での野生動物医学(仮称)の教授(講議と実習選択、場合によってはコース制)、さらには大学院レベルでの専門家養成を目指した高度な研究と技術修得といったものである。獣医系大学は、この3段階教育によりジェネラリスト(獣医生態学の知識も有する獣医師)からスペシャリスト(野生動物医学専門家)まで幅広い教育を展開し、社会のニーズに答えていくべきである。


野生動物医学教育シラバス(大学院教育を除く)案

獣医生態学(仮称)(低学年向)

1.獣医生態学概論  1)生態学とは 2)獣医生態学の目的
2.生物の多様性  1)生物の多様性とは 2)生物多様性のしくみ
3.進化論概説  1)進化論とは 2)自然淘汰 3)適応放散 4)性淘汰 5)包括適応度
4.野生動物の分類  1)形態 2)染色体 3)遺伝子
5.野生動物のからだのしくみ  1)形態 2)機能
6.野生動物の行動  1)行動学入門 2)性行動 3)母性行動 4)摂食行動
7.野生動物の社会  1)単独社会と群れ社会 2)利他行動 3)繁殖システム
8.野生動物の生息環境 1) 植生 2)食物連鎖 3)バイオマス
9.野生動物の生態  1)食性 2)繁殖 3)冬眠
10.日本産野生動物の生態  1)陸棲哺乳類 2)水棲哺乳類 3)鳥類
11.野生動物の個体群動態 1) 生命表 2)死亡率と繁殖率 3)環境収容力
12.野生動物の保護管理 1) 個体群管理 2)生息地の保全 3)人間との軋轢
13.動物生態学から獣医生態学へ  1)野生動物(獣)医学 2)動物園獣医学

野生動物医学(仮称)(高学年向)

1.野生動物医学概論  1)野生動物医学とは 2)野生動物医学が社会にはたす役割
2.野生動物の疾病と環境  1)生態系 2)環境汚染 3)内分泌かく乱物質
3.野生動物の捕獲 1) 捕獲法 2)麻酔法 3)ハンドリング
4.野生動物の生理 1) 栄養 2)繁殖 3)体温調節
5.野生動物の疾病 1) 感染症 2)中毒 3)内科疾患 4)外科疾患
6.傷病鳥獣の救護 1) 総論 2)治療 3)リハビリテーション 4)放逐
7.動物園動物医学 1) 動物園水族館の社会的使命 2)臨床医学 3)希少動物の人工繁殖
8.保全生物学概論  1)生物多様性の保全 2)生態系の保全 3)希少種の保全 4)普通種の保全
9.法制度と倫理  1)鳥獣保護法 2)種の保存法 3)環境アセスメント法

野生動物医学実習(高学年向)

1.野生動物の野外調査入門  1)フィールドワークとは 2)調査法 3)環境評価
2.野生動物の観察と同定  1)哺乳類の名称 2)鳥類の名称 3)双眼鏡を使った観察
3.生態調査(痕跡探し)  1)踏査 2)痕跡の同定 3)糞分析
4.生態調査(ラジオトラッキング)  1)発信機の装着 2)電波の受信 3)探索法
5.生態調査(行動観察)  1)行動の観察 2)行動の分類 3)行動の解析
6.麻酔法  1)麻酔法 2)吹き矢の作製 3)麻酔の実際
7.保定およびハンドリング法  1)保定 2)身体測定 3)標識
8.採血および採材法  1)採血 2)採尿 3)バイオプシー
9.動物園動物の飼育法  1)給餌 2)運動 3)繁殖管理
10.動物園動物の臨床  1)内科疾患 2)外科疾患 3)繁殖疾患
11.傷病鳥獣の救護および治療法  1)救護 2)診断 3)治療
12.傷病鳥獣のリハビリおよび放逐法  1)リハビリテーション 2)給餌 3)放逐
13.野生動物の発情発見と妊娠診断法  1)発情発見法 2)交配の管理 3)妊娠診断法
14.希少動物の人工繁殖  1)人工授精 2)胚移植 3)体外受精
15.野生動物の病理診断  1)病理解剖 2)病理組織観察 3)各種検査

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