畜産学・獣医学からみた教育改善の過去・現在そして未来

第1回合同会議記録

 

1999年10月4日11−20時

東京大学農学部7号館会議室

 

 


会議参加者
獣医学分野
高橋 貢   麻布大学獣医学部名誉教授
植村 興   大阪府立大学農学部
唐木 英明  東京大学大学院農学生命科学研究科
濱名 克巳  鹿児島大学農学部
平井 克哉  岐阜大学農学部
松山 茂   社団法人日本獣医師会専務理事
若尾 義人  麻布大学獣医学部 獣医学研連オブザーバー
小川 益男  日本食品分析センター学術顧問  
畜産学分野
渡邉 誠喜  東京農業大学農学部
菅野 茂    東京農工大学農学部・東京大学名誉教授  
近藤 敬治  北海道大学大学院農学研究科  
佐藤 英明  東北大学大学院農学研究科  
奥村 純市  名古屋大学大学院生命農学研究科  
大島 光昭  名城大学農学部客員教授・名古屋大学名誉教授  
矢野 秀雄  京都大学大学院農学研究科教授  
山本 禎紀  広島大学生物生産学部  
菅原 七郎  北里大学獣医畜産学部客員教授  
田中 一栄  東京農業大学農学部 畜産大学研連オブザーバー
佐々木義之  京都大学大学院農学研究科  
井上 勇    日本大学生物資源科学部


1 はじめに

 

  高橋  それでは、お暑いところ、またお忙しいところ、そして場所を変えまして、この東京大学の会議室を借りてお集まりいただき、獣医学研連と畜産学研連との懸案でありました合同委員会を開催させていただきたいと思います。

   畜産学研連との合同委員会あるいは共催のシンポジウムということで、何回かご相談を申し上げたのですが、共催のシンポジウムのほうは時間等のやりくりでなかなか大変だということで、前回の畜産学研連のほうとお話し合いをさせていただいた折に、ちょうど本日が先生方の日程が一番よろしいであろうということで、きょうに設定させていただきました。

   そういうわけでこの畜産学研連との合同委員会を開催することになりましたが、ご案内申し上げましたように、きょうの合同委員会の趣旨としましては、獣医学教育と畜産学教育の話題を中心にして自由にお話し合いをいただければという趣旨で開催させていただいたわけでございます。そうは申しましても、なかなか話の順序として出だしの問題がございましょうから、最初に私がいまこのようにごあいさつを申し上げました後、渡邉先生のほうからごあいさつをいただきまして、その後、獣医学研連のほうからは唐木先生から、獣医学教育に関する現状についてお話をしていただきます。次いで畜産学のほうから矢野先生にお話をいただいて、その後、さまざまなディスカッションをさせていただきたいと存じております。

   大変申しおくれましたが、それぞれの先生方、もう顔見知りかとは存じますが、ひとまずここにお集まりいただきましたので、最初に自己紹介をこちらから順にお願いしたいと思います。

 

(自己紹介:略)

 

  渡邉  先般たまたま畜産学研連の折に獣医学研連と合同シンポジウムでもという話題をいたしました結果、高橋先生とご相談申し上げながら進めましたのがきょうのこの合同委員会でございます。常々畜産と獣医は一体であり、車の両輪のようなものであるといいながらも、どうもお互いに、畜産の者たちが獣医をよく理解していないところもあり、あるいは獣医の先生方が畜産を十分にご理解いただいていないところもあるということから、まず何はともあれ、お互いをよくご理解いただいた上で、意思の疎通を十分に取った上で、畜産業、動物生産業なるものが十分に発展していけばよろしいのではないか、そんなようなことを考えながら本日を持ったような次第でございます。

   今日も話題になろうかと思いますが、獣医は従来6年制教育が実施されておりますし、かつまた近い将来に向けての改革などもおありのようでございますし、畜産の中でも社会の要請といいますか、周辺状況は大変大きくここのところへ来て変わってきております。社会のニーズが変わっています。そういったことに向けまして畜産教育をどうしていこうかということで常々頭を悩ませているところでございまして、そんなようなことを含めながらお知恵を拝借しながら進めていくことができれば大変好都合かと、こんなようなことを考えているような次第でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

  高橋  きょうのお話し合いをするための資料として、獣医学研連のほうからは「わが国の獣医学教育内容の抜本的改革に関する提言」、畜産学研連のほうから「21世紀における畜産学」という資料、それと私が『学術の動向』に一つは論壇で「ヒトと動物の関係」の資料、もう一つは随筆で「獣医師の社会活動と獣医学教育の危機」ということで投稿したものを差し上げてございます。大変稚拙な論旨で申しわけございませんが、お目通しいただければ幸いに存じます。

   それでは、早速でございますが、先ほど申し上げましたように、獣医学研連のほうから最初に「獣医学教育の現状」ということで唐木先生からお話をいただきたいと思います。よろしくお願いします。

 

2.獣医学教育の現状

 

  唐木  唐木でございます。この会は研連の合同会議ということですが、もう一つ名前がございます。私は獣医学教育の抜本的な改善ということで科研費をいただいております。その科研費で畜産の先生方から獣医の教育改善に対して何かご助言をいただけるのではないかということで、この会を科研費のほうでも相乗りをさせていただいて、共催させていただくということでお願いをしてございますので、ご了承をいただきたいと思います。

   高橋委員長のほうから、獣医の教育の現状について説明をしろということでございますので、先日つくったスライドを利用して話をさせていただきたいと思います。

  日本に獣医科大学がどれだけあるかというと、国立が10大学、公立が1大学、私立が5大学、合計16大学ありまして、入学定員が約1,000名。そのうち400名が国公立で、私立が600名となっております。

   その大学の現状がどうなっているかというと、すべてが設置基準を満たしている。国家試験の合格率は90%以上、あるいは大学によっては100%合格している。志願者数は入学 定員を超しているということで、どこの大学も非常にたくさんの入学希望者がある。偏差値の高い学生が入学しているということで、一見きわめて良好な環境であるというのが一般の見方でございます。

  そのような恵まれた環境にある獣医の教員が何を文句を言っているのかということをいわれます。そこで、最初にお話しするのは、何をわれわれが不満あるいは不安に思っているのか。次に、それをどうしたいのか、どうすればそれができるのかという考え方、最後にその問題点は何なのかということをお話ししたいと思います。

   まず、われわれが何を不満とか不安に思っているかということですが、最初に歴史をお話しします。高橋先生がお書きになった資料にも出ていることですが、昭和53年に修士を利用した積み上げの6年制が発足して、6年後に一貫6年制が実施されました。そのときの目的は臨床教育を充実するということでした。ところが、この6年制の実施の際に教員数も講座もほとんど増えなかったということです。そうなりますと、臨床教育とか実地教育は大変人手がかかりますので、われわれの目的であった臨床教育の充実にはほとんど手が回らなかった。教育の実態は、6年制の実施前、学部プラス修士のときとほとんど変わっていない。修士でテーマを与えて「研究しなさい」というのが一番人手がかからないということで、そういう形態を継続せざるを得なかったということがございます。

   その結果、現在何が起こっているのかというと、社会からは、臨床教育が不十分であるというご批判を頂いています。特に獣医師会のアンケートの結果などにこれが明らかに出ております。もう一つの目的であった公衆衛生の教育についても不十分だということがあります。基礎教育につきましては、修士並みの教育をしていたのだから、基礎教育だけはちゃんとしているだろうとわれわれは思っていたのですが、実はこれについてもレベルが低くなってきたという社会のご指摘がございます。企業の採用担当者から、同じ6年制の教育を受けた者であるならば、薬学部とか理学部とか、あるいは農学部のほかの分野の修士出のほうが、獣医の6年制を出たよりもできがいいという話がございます。これはわれわれにとっては大変心外と申しますか、困ったことだと考えています。

   そうしますと、どこが悪いのかということをわれわれは考えざるを得ません。もちろん、最初に考えなければいけないのは、われわれ獣医学教育の関係者の努力不足ということです。この努力をわれわれはいま積み重ねているところですが、獣医学教育の理念をきちんと構築する。いまはやりのファカルティー・デベロップメント活動などで教育の質を向上する、あるいは自己点検、自己評価のフィードバックを充実するというシステムを考えて、この教育を改善しなければならないと思っております。

  しかし、それだけではなくて、やはりシステム上の欠陥があるということも考えざるを得ません。このシステム上の欠陥というのは何なのか。1番目は、教員数が不足している。2番目は教育用の機器とか施設とか設備が不足している。この辺について少しご説明いたします。

   これは先ほどの獣医大学を講座数で分けたものです。岩手、岐阜、宮崎、鹿児島の4大学は9講座、帯広、農工、鳥取、山口の4大学は10講座、大阪府大が15講座、東大が16、北大、日本獣医畜産大が17、あとは私立大学で18から26講座ございます。私立大学では入学定員が120名、日本獣医畜産大だけは80名です。国公立大学は学生数が30〜45名です。 ということは、同じ獣医学を教える大学でも講座数が国公立大学でもこれだけ違いがある。私立も入れるともっと大きな違いがあるということです。

  次に、獣医学には絶対必要な講座数がございます。それは何かというと、国家試験の17科目、これが最低限必要な講座ということです。ところが、国立大学のほとんどが9講座ないし10講座ですから、国家試験科目を全部はカバーできない状況にあるということです。

   そのほかに、獣医学の中では国家試験科目以外にも必要な講座がございます。この辺はどういうふうに考えたらいいのかということですが、文部省はもうこれで十分足りていると考えている。その根拠は大学設置基準です。

  大学設置基準に別表第一というのがありまして、学部の種類に応じて定める専任教員数というのがあります。これは1学科で1学部を構成する場合と2学科で1学部を構成する場合がございますが、ほとんどが後者ですので、こちらのほうを見ていただきますと、農学部関係は、獣医も畜産も全部同じですが、収容定員が160〜320、これは4年制をスタンダードにしていますから、1学年が40人から80人の場合、専任教員が8人いればいい。その半数が教授ですから、4人教授がいれば農学部の1学科はできますよというのが大学設置基準です。ですから、この基準からいえば、獣医学は非常に立派だということになるわけです。

  ところが、医学関係、歯学関係を見ますと、専任教員数が医学部では140、歯学部では85、この半分が教授ですから、医学部は教授が70人以上いないと成り立たない。歯学部で も43人以上いないと成り立たないということです。医学部、歯学部と獣医は全然違うではないかといわれます。確かに違うところはございます。どこが違うのか、医学部と比較をしてみたいと思います。

  医学部といっても、例えば東大などはマンモス大学で、教授の数は数え切れないぐらいいますが、平均的な医学部ということで、信州大学の医学部の例です。医学部にも獣医にも共通して必要な講座が13講座あります。ところが、外科、内科、病理、生理、解剖などは医学部では複数講座があたりまえです。例えば、1講座で外科ができるはずがありません。ですから、胸部外科あるいは腹部外科、整形外科など6講座、内科が3講座というふうに、全部合わせると13の科目ですが23講座あります。

この他に獣医になくてはいけないと思われる講座が、現在は医学部にしかない講座もあります。逆に医学部にはないけれど、獣医には必要な講座もあります。実験動物、毒性、魚病、野生動物、動物行動、家禽疾病、これは国家試験科目ですから、獣医に絶対必要です。

   こうやって見てみますと、医学部に特有な講座も幾つかありますが、獣医に特有な講座もあるということで、医学部と獣医学というのは教える科目でいうとそれほど差がない。講座数もそれほど差があったらおかしいのではないかということがございます。

  外国の例を見てみますと、EUは99年の1月に通貨を統合しました。その結果、実質的に国境が消滅した。そうすると、食料の自由な流通とか畜産製品の安全性確保のために獣医師の質的な均一化が絶対必要だということで、昨年末までに大学教育を均質化するためにEU機関によってEU全域内の獣医科大学の点検が行われました。そして、教育施設、設備、教員数、カリキュラムを評価しました。合格した大学の卒業生はEUの全域で獣医師の活動ができますが、不合格の場合はその国の中だけでしか獣医師活動ができない。こういう合意のもとに評価は既に終わっております。

   その結果、少なくとも2つの大学が不合格になりました。それはスイスのベルン大学とチューリッヒ大学です。私はベルン大学に行ってお話を伺ってまいりましたが、学生数は入学時60名。これは日本と違って、途中で学生を落としますので、卒業時45名。教員数が60名、うち教授が27名。技術職員が50名。これは日本の獣医からいったらうらやましい環境ですが、これが不合格になりました。なぜ不合格になったか。アメリカとEUの基準では、獣医学というのは非常に広範な範囲にわたるので、最低100人の教員がいないと足り ない。これらの大学は100人にはるかに満たないからだめだということになっております。結局EUの裁定は、ベルン大学とチューリッヒ大学を再編しなさいということになりました。

  ご存じのように、スイスはEUに加盟しておりません。ですから、EUの裁定に従う必要はないのですが、スイスの政府は直ちにその裁定を受け入れました。スイスの国益を考えて、先ほど申し上げましたような公衆衛生上の問題を解決するためというのが当然あると思います。ただ、今後どうやって再編するのかという大問題がある。最初はベルンとチューリッヒに大学を置いたまま、先生と学生が汽車で行き来をして教育をする。そのうち、どこか真ん中あたりに統一せざるを得ないだろうという話をしておりました。

   ほかの大学は合格しました。ベルギーのゲント大学というのは中規模の大学です。ここも日本とシステムが違って、高校を出てある成績に達した人は全員自分の好きな大学に行くことができます。ですから、入学時は500名。これを1年のときに厳しい試験をして落 として120名に削ってしまいます。ですから、出るときは120名ですが、入ったときは500 名というすさまじい数です。先生の数が150名、技術職員が150名。これはヨーロッパでは標準の大きさといっていいと思います。

  ミュンヘン大学はヨーロッパでも一番大きなほうで、やはり入学時500名、卒業時230名ですが、先生の数は280名、ゲント大学の倍近くいます。技術職員が350名。こういうのがヨーロッパの現状といえます。

   次にアメリカの話ですが、随分前に米国とカナダの間でEUと同じような事情で大学の教育の均質化を行っています。アメリカの場合はアクレディテーション協会というのがありまして、ここで数年おきに獣医科大学の点検を行っています。点検項目はEUとほとんど同じです。合格した大学の卒業生には獣医師の資格を授与して、米国とカナダで獣医師としての活動ができるということになっております。

   アメリカの場合はいままで落第した大学を聞いたことはありませんが、このアクレディテーションは2段階になっていまして、1段階で不都合があったら、3カ月とか6カ月とか期限を切って、その間に改善すれば再評価をするというシステムで、大体そこでオーケーになっているようです。

   大学基準協会はこういった現状を考えまして、獣医の場合、教授は少なくとも18名は欲しいという基準をつくりました。この基準が多すぎるか、少なすぎるかというのはいろいろ議論がございます。もちろん、医学部、歯学部に比べたら少ない数です。欧米の獣医学の基準は教員が最低100、そのうち教授は25程度ということになっています。ですから、 これに比べても小さい。しかし、いろいろな現状を考えて最低限これだけは欲しいという数が大学基準協会の新基準ということです。

  これに比べて実情はどうかというと、先ほど申し上げましたように、ほとんどの大学が9人ないし10人の教授しかいないということで、全国立大学を合算して平均しても11名いないということです。その結果何が起こっているかというと、国家試験の17科目に対応できない。卒業生に対する社会の評価が低下している。特に臨床教育と公衆衛生教育が非常に不足しているということで、現状はシステム上の欠陥があるのではないかというのがわれわれの考え方です。

   ついでに大学院のことをお話ししますと、単独で大学院を持っているのが北大、東大、大阪府大の3大学、私立大学は全部持っています。ところが、ほかの国立大学は2つの連合大学院を持っております。これは農学の連大と違って超広域といっていいぐらいの連大でして、帯広、岩手、農工大学、岐阜までが東の連合大学院、西のほうは鳥取、山口、宮崎、鹿児島と、非常に広い範囲で連大を組んでおります。実はこれは前回の再編のときに近隣の大学間で再編整備をして大学院をつくるというプランがありましたが、これが凍結されて、緊急避難的にこういった連合大学院ができました。ただ、これは緊急避難であって、可及的速やかにこれを解消してもっと効率のいい大学院をつくるというのが文部省の考え方だったのですが、いまだに前に進んでおりません。これが大学院の現状です。

   そういったことで、私たち教員の質が悪いということはわれわれも大いに反省をしなければなりませんが、それだけではなくて、やはり教育システムの不備がある。われわれがいくら努力してもカバーできない不備があるのではないかというのがわれわれの実感です。国際化の時代に日本だけ教育レベルが低くてもいいのか。これは食料の安全、防疫体制の問題、貿易摩擦の問題、あるいは、せっかくいい学生が獣医に入ってきても、医学部の教育の質と比べてその差にがっかりしてやめていくとか、あるいは日本の国民が獣医学教育の現状を見て不満とか不安が起こらないだろうか、こういった問題にわれわれが本当にこたえるためには、いまの現状では本当に難しいということがあります。

   それではわれわれは何をしたいのか。これは非常に簡単です。国際的に通用する充実した教育をしたい。それは具体的にいうと何なのか。最低限国家試験科目を教授できるだけの講座数と教員数が欲しい。それは大学基準協会の基準にあるように教授が18名で助手以上が72名、最低限こういった数が欲しい。それから、単独の大学院を設置する。専門教育が可能な施設、設備を持ちたい。こういった国際的にそれほど恥ずかしくない獣医の教育ができるだけのシステムが欲しいというのがわれわれの希望です。

  次にそれをどうやってつくろうとしているのかということです。つくろうとする道は大きく分けると3つあると思います。1つは純増で教員の数を増やしてくださいとお願いする。2番目は学生の入学定員を増やすことによって先生を増やす。3番目は現有の先生を集めてスケールメリットを図りたい。この3つの方法があるのですが、実際は1番と2番は不可能です。

   1番目は、ご存じのように、公務員の定員削減という大問題がございます。ですから、純増の概算要求を出しても通るはずはありません。現在、114万3,000人の公務員がいる。この中で非常に大きな割合を占めるのが国立大学の13万5,000人です。ですから、ここがタ ーゲットになっていて、ここを増やすのは至難のわざということです。さらに、中央省庁等改革推進会議本部の決定は、公務員を10年間で25%削減するということで、こういった状況を見ると、われわれは純増で増やすことは不可能です。

  2番目は入学定員の増加、学生定員を増やしたらどうか。これについても、家畜の頭数が減少していて、獣医師の必要数がそれほどいらない。少子化が進んでいるということで、入学定員を増やすことはほとんど不可能な状況です。ピークのときには220万人いた小学 校の入学者の数が一度減って、また増えてきて、この辺で200万人になった。これがまた 減ってきて、いま120万になっています。

   そういうことを考えると、われわれとしては入学定員を増やすことによって入学定員を増加することは事実上不可能だし、もしやったとしても、これは教育の充実にはならないから、これも不可能である。

  そうすると3番目の方法しかない。これは現有の先生方を集めてスケールメリットを図る。これは学生数が増えてしまって、先生の数、学生対先生の比率は同じなのだから、教育はよくならないではないかというご意見もございます。しかし、最低限国家試験に必要な17科目を教える先生の頭数はそろうということで、大きなメリットがあると考えております。

  次にわれわれが再編整備をやるときに原則として考えていることがございます。これは10年前に6年制実施のときに再編整備をしたときの教訓を何とか生かそうということで、前回は獣医学科を持つ大学同士で再編の話が出ました。総論賛成、各論反対で、「おれのところに来るなら大賛成。お前のところに行くのは嫌だ」ということでこの話はつぶれました。ですから、いま獣医がないところに行こう。そうすると、みんな損して、結局はみんなが得をする。これが第一の考え方です。

   2番目の考え方は、地域的な配置を考慮する。

   3番目は、総合大学あるいは大学院大学をめざすということです。

  この3つを考えながらやっていこうということです。

  こういったわれわれの考え方に対して、そういう考え方はエゴイズムだという非常に厳しいご意見がございます。これを分けると幾つかの内容に分かれます。第一は、周囲に迷惑をかけるようなことはやめてほしい。地域経済にマイナスである。あるいは、獣医が出ていく大学にとっては、大学とか学部が小さくなってしまう。これはわれわれは受け入れるわけにはいかないということです。それから、各大学の内情を伺いますと、獣医が大きくなるとほかが小さくなってしまう。また、獣医を受け入れる大学は、獣医をつくるという大きな概算が通ると、ほかの概算が通りにくくなってしまう。あるいは、周辺の学問領域が圧迫される。卒業生の就職先を奪われる。研究領域が圧迫される。いろいろな反対のご意見がございます。

   こういうことに対してわれわれはどういうふうに答えるのか。なかなか難しいのですが、まず一つは、われわれが何を充実しようと考えているのかということをご説明しなければならない。まず、獣医が大きくなる、大きくなると批判されますが、獣医学全体としての規模は変わらない。むしろ獣医学全体としては、各大学から獣医が出ていくときに何人かの先生を置いていかなければいけないかもしれない。講座を置いていかなければいけないかもしれないということで、再編整備で現有の資源より小さくなるかもしれない。日本の国全体として獣医の規模は変わらないのがわれわれの希望ですが、これは小さくなるのも覚悟せざるを得ないわけです。

   獣医が大きくなってほかのところを侵食するのではないかというご意見、お叱りを受けますが、そうではなくて、われわれが充実したいのは獣医に特有の部分であって、獣医臨床とか獣医公衆衛生の部分を大きくする、あるいは立派にする、あるいはあたりまえの姿にするためにこれをやっていきたいと考えているということです。

  もう一つは、地域の畜産を見捨てるのかということです。これにつきましては、われわれは見捨てるつもりは全くございません。地域の要請とか支援を得て、教育機関としての現在の役割は当然継続したいと思っています。ただ、われわれとして明確にしていただきたい点は、地域の畜産に責任を負うのはだれなのか。これは大学ではないし、ましてや獣医学科ではない。地域の畜産に責任を負うところは地方公共団体あるいは農水省だと思いますが、そういうところが計画をお立てになった中で、われわれが要請を受ければいくらでも支援をする。そういうバックアップの立場であるということは考えておかなければいけないと思っております。

   もう一つは、大学というのは地域に密着した存在であるべきである。せっかく各地にある獣医学科を集めてしまって大都市に持っていくというのはとんでもない話だという話もございます。これもそういう側面があることはわれわれは否定はいたしませんが、そういった問題と、いままで申し上げましたような獣医の教育がいま非常に不十分である、その解決法はこれしかないということのメリット、デメリットを計算して、どちらが本当にいいのかということを考えなければいけないと考えています。

  そうはいいましても、獣医学科が抜けてしまうといろいろなデメリットがあることはわれわれは十分わかっております。地域経済の問題あるいは畜産に対する心理的な要因が大きいのはよくわかっておりますし、獣医が黙って出ていかれたら大学、学部は小さくなってしまう。これもある学部は成り立たなくなってしまうという事情があるのもわかります。それから、動物関係の教育が困ってしまう大学があることもよくわかっております。そういったことで、われわれはこれから先生方と一緒に、ぜひ知恵をおかりして、そういった問題をどうするかということを考えていきたいと思っています。

  次によく出てくる質問が、なぜ九大と東北大なのかということです。これにつきましては、一言お断りしておかなければいけないのは、獣医学関係者として公式に九大と東北大にまだ申し入れていない。個人的なレベルでご意見を伺ったりしたことはございますが、まだどこの大学も九大や東北大と公式に話したことはないというので、これはいま獣医学の関係者が自分たちの夢として勝手に名前を挙げただけだ。そういう意味では九大と東北大の先生方には大変ご迷惑をかけているところがございます。ご迷惑をおかけしたことにはおわびをします。

   次に聞かれるのは、タイムリミットはいつかということです。これにつきましても、現在の教育が非常に不備である。現在の教育の不備をどうやってわれわれは解消しているかというと、近隣大学の協力などの応急措置で、先生が所属の大学と他の大学を講師で行ったり来たりしている。あるいは、1人の先生が2科目、3科目を教えているということで対応しているのですが、これは対応し切れるものではありません。ですから、現在いる学生の教育を考えると、タイムリミットは既に来ている。もう待ったなしに、きょう、あす、すぐ実施しなければいけないとわれわれは考えております。

  最後に一言申し上げたいのは、ある学問領域の教育改善に責任を持つのはだれなのか。われわれとしては学部長にお願いし、学長にお願いし、文部省、あるいは世論に訴えて、何とかしたいと訴えてまいりました。しかし、結局は自分たちでやるしかないということが分かり、われわれは皆さんに怒られながら、いわば稚拙なプランを立てて、何とかそれを実施しようというふうにいま考えているわけです。そういったことで、ぜひ先生方、獣医学教育の内情にご理解をいただきまして、こういった問題にサジェスチョンをいただいて、ご支援をいただきたいと考えております。

  以上です。

 

高橋  ありがとうございました。いま唐木先生から獣医学教育の現状について細かくお話がございました。獣医学研連といたしましては、第16期のときにもいろいろと議論をしたのでありますが、第17期では特に獣医学教育に関して議論を進めて参りました。いま唐木先生は全国獣医学関係代表者協議会の会長として全体の獣医学教育の充実のための世話役を務めておられるわけですけれども、獣医学研連としては日本学術会議の獣医学研連としてこれをサポートしようとしています。そのサポートするためにはどうしたらいいのかということですが、学術会議としては勧告なり、あるいは対外報告なりといういろいろな方法があるわけですが、その中で獣医学研連としての対外報告を出してサポートしていこうということでございます。

   お手元にお配りしておりますのが「わが国の獣医学教育内容の抜本的改革に関する提言」というもので、これは対外報告の資料でございます。ただ、この原稿はまたまだ獣医学研連としても1回議論しただけでございまして、あくまで未定稿でございますので、文章の内容が冗漫なところもございますし、古いところもありますし、あるいはまだ未熟なところもございますので、これから手を入れて、できますれば17期の最後あたりには対外報告として出したい、そういう希望でこれを提言しているわけでございます。

   なぜ獣医学研連がかかわりを持たなければいけないのかということでございますが、実は先ほど唐木先生のほうからお話がございましたように、6年教育の冒頭の取っかかりは、日本学術会議で獣医学研連から第6部を径いて、そして運営審議会の審査を経過して総会にかけて、日本政府に勧告が出されたということでございます。その勧告が出されたことによって6年間教育がスタートしたという経緯がございますので、そのかかわりをもって今日まで続いているというわけでございます。そういうわけでございますので、この資料のほうもそういう意味でご参考にしていただければありがたいということでございます。  それでは畜産学研連の方の司会を渡邉先生、よろしくお願いします。

 

3.畜産学教育の現状

 

  渡邉  唐木先生、どうもありがとうございました。大変勉強させていただきました。そこで、畜産学関係ということでこれからご説明させていただきたいと存じますが、全般的にちょっとご紹介申し上げますと、畜産学研連でもご案内のような形で、畜産学教育を今後どうしていくかということを取り組んでいるところでございますけれども、これまでの経過を申し上げますと、元来畜産学会のもとに畜産学教育協議会という全国的な組織が一つございます。これが30年ぐらい前にスタートしまして、その時々に応じまして、いろいろなカリキュラムの問題だとか教育の問題だとかということが取り上げられてきたわけでございます。現在もこれは続いてきております。一方、畜産学教育を担当しております私立大学が10ばかりございますが、そこで10年ぐらい前に私立大学の畜産学教育研究会というのがつくられまして、御旗を学校法人のもとで進めているという普通学科のもと私立大学が集まって研究会を持っているということが一つございます。

   一方、前々回ぐらいでしょうか、5〜6年前に畜産学会の中に畜産学教育あるいは畜産学の再構築を検討しようという動きが出まして、それを踏まえまして特別委員会を学会の中で設置いたしまして、その時々に応じました会長のもとで検討が進められてきておりまして、その一部は『畜産の研究』等に発表されているところでございます。

  そのような流れの中で、きょうは最初に畜産学研連の幹事の矢野先生から全体像をご説明いただきたいと存じます。特に、先ほど申しました畜産学教育協議会の試案等をもとにいたしまして、いろいろそれにつけ加えていただいてご発言をちょうだいしたいと考えております。よろしくお願いします。

 

矢野  ただいまご紹介にあずかりました京都大学の矢野です。私は唐木先生のようにきれいな図で示すことはできませんが、渡邉誠喜先生がつくっておられます、いま先生方のお手元にお渡ししています「21世紀における畜産学」という資料をもとにしてご説明をさせていただきたいと思います。

   それと、獣医学研連あるいは唐木先生を中心とした委員会の動きはかなり再編整備のところの構図ができて、「さあ、これでいきましょう」というところまでいっていますので、われわれ畜産学会あるいは畜産研連、先ほど渡邉先生のほうからご紹介がありましたいろいろな活動は、もう少し基礎的なところでいろいろ話をしている。これご説明のとおり、かなり長期間エネルギーを投入して検討している。畜産学とは一体どういうものか。あるいは、これからの畜産学の再編はどうあったらいいのかということは随分長い間検討してきています。

   というのは、先生方既にご承知のように、全国の国立大学あるいは私立大学の畜産学関係というのは「畜産学」という名前がほとんど残っていないはずです。動物生産学あるいは資源動物学あるいは動物応用化学、あるいは動物応用学、そういう名前にほとんど変わっていると思います。そういうことで、畜産学としても名前が変わって、実際に学生の意識も随分変わってきています。そのところの理念は一体どうあるべきかとか、あるいは実際のカリキュラムはどうすればいいのかというところの話し合いで、まだまだ話し合いは続行中で、その経過でまとまったところはシンポジウムを行ったり、あるいは先ほど渡邉先生がご説明のように畜産雑誌のほうに出したり、そういう形で情報は流しているというところでございます。

   シンポジウムは「畜産学教育のカリキュラム」ということで、これは1997年の3月に畜産学会開催時に行われています。前回東京農業大学で行われた畜産学会の折には「21世紀における畜産学の構築」というのでシンポジウムを行っております。

  いま、畜産業というバックグラウンドをご説明するに当たって、渡邉先生のつくられた資料をもとにご説明したいと思います。

  まず1ページ目をお開きいただきますと、先生方もご承知のように、日本の畜産農家は急激に減ってきています。これは大規模化に伴って、ある意味では激減しているといってもいいほど減ってきています。畜産業は北海道から沖縄まで農家数が減ってくる。それに伴って、それに携わる、大学を出た、畜産学を出た、獣医学を出た卒業生の方々も減ってきていると思います。例えば、獣医のほうでは共済に獣医の先生方が随分行っておられましたが、その数は減ってきています。そういう意味でも、いまの農業あるいは畜産業が変遷しているといいますか、これは国の政策あるいは外国との競争等もありますが、畜産業そのものがむろん大規模化はしていますけれども、戸数は随分減ってきている。トータルの頭数も、乳牛にしろ、肉牛にしろ、豚、鶏にしろ、漸減傾向です。その分、輸入のものによって置きかえられているという現状にあります。

   これはいろいろなところでいわれていることですが、世界的な食料問題、人口増加、いま60億ぐらいですが、それが80億あるいはひょっとしたら100億人近くになるのではない か。30年、50年後、世界人口はそうなります。そうしたときに、日本の農業、畜産業が現状のままで、あるいはどんどん輸入というか、自給率を減らしたままでいいのかという大きな問題があります。それは一つの畜産学あるいは畜産業を興す上での一つの理念といいますか、大きな一つの柱になろうかと思います。私は細かくは知りませんが、新農業基本法ができて、また自給率を上げましょうという、これはかけ声だけなのか、実質を伴うのかわかりませんが、そういう意味でも畜産学あるいは畜産業の再構築といいますか、力強さは必要かなと思っているところでございます。その辺のところは、「はじめに」というところに書かれています。

   「はじめに」のところの下から4〜5行目のところに先ほど話をしました畜産学科あるいは畜産学というところが名前が変わって、応用動物科学、資源動物科学ということになってきていますので、その辺のところの再構築の必要があるだろうということで、現在も畜産学研連でこういう検討を行っています。

   1番の日本における畜産の導入ということですが、これはまさに明治時代から始まって、営々と努力がなされてきた。むろん国の法的な整備、農林省の畜産試験場が1916年、われわれ畜産学会も大正13年に設立されて、畜産学会の活動がいままで絶え間なく進んできたという経過です。

   次の2ページ目の2番目のところですが、乳牛、肉牛、豚、鶏、そういうものが日本国内でどのような貢献をしてきたかということがそこに書かれています。実際、私自身の経験でも、昭和30年代の中ごろから、畜産が大規模化し、畜産物の供給といいますか、消費が非常に拡大してきました。それはむろんすべてが畜産学の支えるところではありませんけれども、畜産業が国民に果たした貢献はきわめて大きい。実際に子供たちの体の身長が随分体位が大きくなってきた。これは恐らく畜産物をとってきたから、肉なりミルクなり卵なりをとってきたからにほかならない。寿命も10年以上、実際に平均寿命は延びてきた。これはむろん医学、衛生学の貢献も大きいと思いますが、それと同様に人間の栄養の向上といいますか、畜産物による向上がかなり大きく貢献しているだろうという経過があります。

   その一方、ここ数年といいますか、ここ5〜6年、これは人間の栄養の専門家の先生方がよくおっしゃることですが、炭水化物と脂肪と蛋白質のバランスはこれでぎりぎりですよと。これ以上さらに取ると脂肪が過多になって炭水化物の割合が減ってくるということで、日本人の栄養からするとこの辺で一番いいだろう。実際に消費量も、牛乳は若干伸びていますが、トータルとすると畜産物の消費量はそれほど伸びてきていない。そういう意味でも畜産業、畜産学がもう一度考える時点に差しかかったのではないかということを渡邉先生は書いておられます。

   以前の畜産学は、東京大学の佐々木清綱先生が昭和32年に「畜産学というものはこういう柱ですよ」ということをつくられました。それは、家畜解剖学、家畜生理学、家畜遺伝学、生物化学が基本になっている。それに家畜育種学、繁殖学、飼養学、畜産製造学がさらにその四本柱ですよと。これは畜産大辞典などで私どももこれを見せていただいて、  「なるほど、こうなんだな」。それに基づいて各大学にこういう講座がつくられてきたということで、いままではそういうことでやってきました。

  そのほかに、東京農工大学・森田琢磨先生等がそれを補足するような学問の体系をつくっておられます。その辺が次のところで書かれているところです。

   3ページ目を開いていただきますと、「畜産業の現状」ということで、先ほどざっと話をしましたが、現在、1975年がピークで3兆1,000億円ぐらいの総生産額です。日本の国 家予算がいま60兆円、GNPはいま500兆円ぐらいですので、3兆円というのはかなり大 きな額になると思います。それが平成5年、1993年にはトータルが若干減りまして、いま2兆6,000億円ぐらいの統計上の畜産物の総生産高になります。飼料のほうはいまのところ配合飼料は毎年2,500万トン近辺で推移しています。増えもせず、あまり減りもしない というところです。それも額に計算すると1兆3,000億円から1兆8,000億円、合わせると大体4兆円ぐらいの規模の産業が畜産業としてあるということになります。ですから、500兆円の総生産、GNPの中の4兆円、1%弱ぐらいの生産額があるということです。実 際に農家人口も、いま専業農家は1%前後ではないか。兼業を合わせて3〜4%というところではないかと思いますが、農業、畜産業はそういうところの位置づけであろうと思います。

  現在、畜産の先生方、いろいろな分野でご研究、教育に活躍されていますが、大きな問題は4の下のほうに書かれていますが、さらに規模拡大をしたい、しなければならない。そのときに大きな問題になっているのが家畜排泄物による環境汚染の問題です。これを工学的な方法あるいは栄養学的な方法、さまざまな方法で解決しようということで、農林省の研究機関を中心にそういう研究が進んでいるということです。

   5番目の畜産学徒の活躍状況ということですが、毎年1,800人の卒業生が私立大学、国 公立大学の畜産から卒業している。そのうち、はっきりした数字はわかりませんが、恐らく80%ぐらいは私立大学ではないかと思いますが、私立大学のウエートはきわめて大きいと考えます。彼らは直接農業、畜産業に近いところで活躍する卒業生から、食品、薬品、化学製造、そういう企業で働く卒業生もかなりいます。

   A大学というのは京都大学のことですが、1975年〜79年はわれわれのところの卒業生は医薬、化学、食品という製造業、主に研究所ですが、その割合が21%だったのですが、それが1990年〜94年には58.4%、卒業生の半分以上が製造メーカー、薬品、食品、化学関係の会社の研究所に行くということで、旧来の畜産というイメージとはかなりかけ離れた卒業生が出ていっているというのが一つの国立大学の例です。これは同様に私立大学のほうも製造業のほうに半分ほど行っているという例が示されております。

  その中で、21世紀におけるわが国の畜産ということですが、先ほど少し話をしましたけれども、80億人、90億人、100億人という世界人口になるときに、やはり動物性食品の重 要性はまさに論をまたない。さらに、所得が豊かになればなるほど、卵なり乳製品なり畜産物なりは全世界的に取る。むろんこれは日本が昭和30年代以降経験したとおりです。人口が80億人、90億人になった上で、さらに経済的な力がつくと、ますます畜産物に対する需要、ニーズは高まるということで、この生産に関する研究・教育が必要であるというのが一つの姿勢となります。

   そのほかに、現在のいろいろな問題点、抱えている畜産学への要望ということで渡邉先生が整理しておられますが、実際に飼料生産が、ほとんどの飼料はいま輸入です。濃厚飼料はもとより粗飼料までも海外から輸入してきているということで、畜産の一番基本はえさですので、そのえさをいかにして生産を獲得するかということが大きな問題だということです。

  2番目は家畜排泄物の問題、これも一つの技術として東アジアならびに日本、北ヨーロッパのオランダ、ベルギー、ドイツ、そういうところで進んで研究をする。アメリカでも養鶏・養豚の大規模化に伴って、あの広大なアメリカでさえ大きな問題になってきているということで、先進国での大きな問題であると思います。

   3番目として中山間地の利用ということです。農業、畜産業が衰退といいますか、減少していくと、日本各地でいま見られているような中山間地の荒廃があります。それをどのようにして防ぎとめるか。これはむろん農政が非常に大きく関与するところだろうと思いますが、それに伴って技術研究もバックアップをする必要があるということです。

   4番目として発生工学、これはきょうここにも来ておられます佐藤英明先生等が中心になって、発生工学の研究が随分進んできているということで、今後、クローンの個体をつくる、動物をつくる。もう実際にこれは牛でやられて成功していますが、そのほかにもクローン技術を使った臓器、そういうところにも畜産学の分野として進んでいくことになるだろうということです。

  畜産物の加工技術と機能性ですが、いままでは畜産物、卵にしろ、牛乳にしろ、肉にしろ、質のいいものであればよろしいということですが、さらにそれに安全性と機能性が求められるだろう。そういう技術あるいは研究が重要になります。

   6ページの新畜産業への対応ということですが、これは先ほど少し話しましたトランスジェニック動物の作成はこれからますます盛んになってくるだろう。あるいは、移植臓器用の臓器の作出というところで、一つの新しい産業としてこれが、畜産学、畜産業というよりは応用動物科学として、あるいは応用動物産業として、こういうところが立ち上がってくるだろう。そういうところに向けての教育体制、研究体制を整える必要があるということです。

   7枚目のところに、われわれが検討したことを渡邉誠喜先生がまとめて、従来の畜産学がいまは動物生産科学、動物生命科学、動物環境科学、動物応用科学、こういうカテゴリーに分けることができるのではないかということでつくっていただきました。

  それに伴いまして、先ほど先生方にお配りした畜産学教育モデルカリキュラム試案ですが、これは畜産学教育協議会というところが継続的に検討しているのですが、その協議会が出された一つの試案です。新しい畜産学というのはどういうカリキュラムになるのかというところを一つの案として、必修科目、選択必修科目、自由選択科目ということで書かれています。旧来見られたものにさらにプラス、生理学あるいは内分泌学、神経化学、バイオテクノロジー、そういうものが入ってきている。さらに基礎になると、蛋白質化学なり酵素化学なり分子生物学が入ってきています。

   畜産学のいまの現状と問題点、今後の展望について、いままで研連がまとめた案をもとにお話をして、私の紹介とさせていただきます。

 

4.自由討議(1)

 

 渡邉  どうもありがとうございました。それでは、ただいままで、唐木先生の獣医学の持っている問題といいますか、獣医学教育で大変具体性のある問題が絞り込まれた。それに対する対応の仕方ということで具体的な案をお出しいただきました。一方、私ども畜産学研連では畜産学というものの漠とした、ここ10年ぐらいでしょうか、大きく社会のニーズが変わってきて、畜産学に対する対応も変わってきている。問題が非常に大きくなってきている。これに対して、入学してきます学生等の希望もだいぶ変わってきているということなどございまして、そんなような状況をお示ししたところでございます。

   なお、「21世紀の畜産学」、いま矢野先生は読んでいただくような形でご説明いただきましたが、これは私どもで作成しておりますが、まだ完全なものではございませんで、まだまだ問題を抱えているところでございますので、今後さらに手を加えていくところかと存じますので、お含みおきいただきました上で、両研連からのご紹介をちょうだいしましたので、この付近でお互いにしばらくの間、自由討議ということで進めさせていただきたいと存じます。どなたからでもご自由にご発言を賜ればと思います。

 

濱名  私は鹿児島大学におりますが、現在、日本産業動物獣医学会の役員をしております。そういう点から、畜産と非常に関係のある立場にあり、私自身、獣医学会会員でもあるし、畜産学会の会員も30年近くになります。私の立場からずっと畜産学のほうを見ておりまして、非常に残念というか、これでいいのかなという気持ちを持っておりますのは、先ほどご紹介がありましたように、全国の大学から畜産という名前が消えたことです。ところが、海外においてはアニマル・サイエンスとして、しっかりした産業基盤を持ち、学問としての伝統も確立されているのに、日本でなぜ消えたのか。先ほど昭和32年に佐々木清綱先生、私は直接の教えを受けておりませんが、畜産学というのはこういうものだということで、その方針に沿って、それぞれの講座名にしましても、各大学が充実されてきたように思います。

   ところが、今回、21世紀をにらんだ畜産学として、いろいろここに書かれているようなことは、現状がこうなったから畜産学をそれに合わせたというのか、あるいは畜産学会等で将来の畜産学はこうあるべきだという方針があって、ちょうど佐々木清綱先生がされたように、こういう方向に畜産学を伸ばしていこうという方針が先にあって、それぞれの大学がある程度それに沿った形で変わってきたのでしょうか。われわれ獣医学もいろいろな悩みを抱えておりますが、ある意味では畜産の先生方も非常にお困りではないかと思うので、その辺、畜産業というのは厳として、先ほど言われましたように3兆円近くの生産をしておりますし、業があって、その上に応用科学としての学問があると思っているのですが、そういう大学の変遷に関して、畜産学はこういうふうになるという一定の方針のもとに変わってきたのか、どういう感じなのでしょうか。

 

渡邉  いまご指摘のようなことで、畜産学という名称をうたっておりますものの中には、国立大学で2つでしょうか、私立大学で4つぐらいという状態になっておりまして、その他はご指摘のとおりいろいろな名前が使われております。私もよくわからないような状態でございます。これは主導的に畜産学会が、あるいは畜産学教育に携わっている先生方が主体的に動いたのかどうかということにつきましては、国立の先生がたまたまいらっしゃいますので、何人かの方にご発言をいただきたいと存じます。

 

佐々木  私は京都大学の農学研究科で家畜育種の方を担当しておりますが、いまの件に関して、私自身はそこらあたりの動きに対してほとんどタッチできていないというと非常に無責任になるのですが、文部省からの改組要求があって、それに対して畜産学分野の中で一つの方向が出せないうちに各大学が乗っていってしまった。ですから、一つの方針があってというものではなくて、全体で方針が立てられない間に進んでいったというのが実情ではないかと思います。

   京都大学の例で申し上げますと、京都大学の場合は改組はずっと遅いほうだったのですが、とにかく改組しないことには農学部については予算もつかない、何の新しい申請もできないという学部長以下の強い方針で改革が進められました。その中でわれわれとしては、畜産学を何らかの形で残したいということで努力したわけですが、畜産学関連講座が4講座しかないということで、動物性の分野を、水産関係の動物と一緒になる方向で動物関係でまとまろうと努力したのですが、水産は動物だけではない、植物もあるし、海洋の物理関係の方もあるしということで一緒になれなくて、その中で学部の方については大きな生物生産科学科、大学院のほうにつきましては応用生物科学科専攻というところで、水産も一緒には入っているのですが、農林生物も一緒に入った形で応用生物科学専攻になっていったわけです。

   そんなことで、私自身は先ほどの唐木先生のような積極的な動きは何もできていないので、何も申し上げる資格はないのですが、これは何とかしなければいけないのではないかと考えております。いま濱名先生がおっしゃるように、日本の畜産は厳然としてありますし、むしろこれまで戦後の畜産というのは、ある意味で増産、増産の中で、材料も育種素材も外国からどんどん入れてきて、それで生産していけば増産につながり、要望にこたえられていったというのが実状ではないかと思います。それがいろいろなところに、先ほど矢野先生が言われた公害の問題等がいろいろ生じてきている。あるいは、自然破壊。その一方で、農山村はどんどん人口が都市に流出していって、本来畜産的に利用すべき、利用してこそ生かされるような土地がどんどん荒廃していっているのが実情ではないかと思います。

   そのあたりのところを再構築していくためには、従来の畜産学の考え方を変えていく必要があるように思います。佐々木清綱先生の言われた、畜産学というのは生理とか解剖とか遺伝とか生化学というのをベースに、そしてそのターゲットは何かというと、経済的な生産、効率的な生産というものがねらいにありました。経済効率をいうと、先ほど申しましたように飼料は日本でつくるより外国から買ってきたほうがいいという形で、いわゆる経済的な効率を追求する畜産がずっと進められて、いまのような形になってきているので、これを再構築していく段階では経済性ももちろん重要ですが、生態系との共存という字句をもう一つ入れたターゲットを置く必要があると思います。

  そうしますと、環境の問題とか公害の問題を考えれば、これはいままでの経済効率とは逆方向なので、畜産学の研究の中で検討、研究しなければならない課題は非常に多いと思いますが、そういう視点での畜産学が再構築されなければならないのではないかということです。渡邉先生がつくられた「21世紀の畜産学」に関しましても、いろいろ私も意見を申し上げさせてもらったりしておりますし、できればそういう方向の畜産学をこれから構築していかなければいけないと考えております。そのために畜産学研究の中でやらなければならないことは非常に大きいということを学生にも概論の中で話したりはしています。

  その意味で、先ほどの獣医学の皆さんのような、畜産学関係者が一体となってこれからの方向を検討すべきで、きょうのこの会議がそれのきっかけになってくれたらと私は思っています。

 

渡邉  ちょっと関連いたしまして、畜産学会の立場で、いま先生のお話で「学会はどうしたんだ」というお言葉もございましたので、前会長の菅野先生からご発言をいただければと思います。

 

菅野  先ほどの濱名先生のご質問は、わが国の大学から畜産学科が消えた経緯といいますか、そういうことでよろしいのですね。

 

濱名  私自身、非常に残念だと思っているものですから。

 

菅野  まずその点からちょっとお話しさせていただきたいのですが、私ごとになって申しわけありませんが、私自身はこの東京大学に畜産学科と獣医学科が並立していたときの昭和36年の畜産学科の卒業なのです。濱名先生も同窓ですから、その辺はよくご存じだと思いますが、この大学から畜産が消えた理由は、これは昭和59年に獣医が6年制になったときに、獣医学教育を行うところは獣医学科でなければならないという文部省の指導で、それまであった畜産獣医学科が獣医学科になったというわけで、東大からは畜産が表向き消えたということです。

   私が卒業したときは並立していたのですが、歴史的に見ると、28年までですか、畜産学科一本であって、そこに甲と乙とあって、獣医コースと畜産コースがあった。やはり獣医教育も畜産教育もやっていたわけです。それが並立になって、昭和39年でしょうか、畜産獣医学科ということで一体になって、一つの学科になったのですが、中身は畜産学教育もやってきていたわけです。それが59年に獣医が6年制の一貫教育になったときに、文部省の指導で獣医学科にさせられてしまったということで、そういう流れがあります。それは東大の場合ですが。

   先ほど学生数の数字が出ておりましたが、獣医学教育を受けている学生はいま国公立と私立を入れて一学年約1,000人です。ところが、畜産学教育を受けているほうはいまでも 1,800人いる。これは中身を見ると、戦後、とにかく食べるものがなかったので、何とか 畜産を振興してという政府の方針に従って、全国に畜産学科がたくさんできたわけです。学科でなくても、農学科の中の1講座、2講座という形でできたわけで、それをトータルすると1,800名ということになろうかと思います。そういう意味では、畜産学教育を受け ている学生のほうが獣医学教育を受けている学生より多いということにはなっておりますが、軒並み畜産学科が消えて、生物生産学科とか応用動物科学科とか生物資源科学科とか、いろいろネーミングが変わっていったというのは、それぞれの大学の再編の流れの中でのいろいろなご事情があったものと思われます。

   確かに私としては表から畜産という名前が消えたのは大変残念には思っています。しかし、教育そのものはそれぞれの大学において昔とそんなに変わらずに畜産学教育が行われているのではないかと考えております。名前が生物生産学科とかに変わったとしても、動物生産科学とか、幾つかこの資料にも挙がっていますが、これは畜産学教育の原点だと思うのです。ですから、いま随分学問の領域も畜産学の周辺も変わってきていますから、かなり分化している面がありますけれども、動物生産科学という大きな柱があって、それをバックアップする畜産学教育が行われていると考えております。

   学会のほうですが、学会として日本畜産学会が、ここにも歴史がちょっと書いてありますが、1924年、大正13年に、わが国の畜産学の進歩を目的として、あわせて畜産業の発展に資するため日本畜産学会が設立されて云々と書いてありますが、歴史的にはもう70年以上たつ。獣医学会よりは歴史が浅いですが、いまだに表から畜産が消えておりません。学会でもいろいろ畜産学の教育・研究の再構築という形でずっと論議がされてきておりまして、ある程度結論も出ていますが、先行き学会としては畜産を表から消して、日本応用動物科学会とかそんなふうに変えるという声はあまりはっきり出ていないように理解しております。

  ただ、先ほどもちょっとご紹介がありましたが、畜産学分野においても大学教育との絡みで畜産学教育協議会が大会のたびごとに、獣医のほうの国公立大学獣医学協議会、全国獣医学関係大学代表者協議会などと同じように開催され、機能しておりまして、あと私学のほうも、私立大学畜産学教育研究会というのが機能しておりまして、社会のニーズに対する対応や学生の進路などについてアンケート調査をしたりしてまとめております。

 

唐木  いまの話で一つお聞きしたいのですが、大学の自治がある中で文部省の指導で次々畜産の名前が消えた。それは公式の理由は何だったのでしょうか。東大の場合はよくわかります。これは6年制ということですが、東大以外の話ですが。

 

菅野  獣医学教育を行うところは畜産獣医学科であってはならないということで。

 

唐木  東大はよくわかるのですが。

 

菅野  ほかの畜産学科から畜産の名前が消えたのは、先ほど佐々木先生もちょっと言われたと思うのですが、各大学の事情で、生き残るために名前を変えざるを得なかったものと思われます。

 

唐木  生き残るためにというのは、なぜ畜産があると生き残れないのですか。

 

近藤  概算要求をするときに看板の塗りかえをすることによって通るという、そのテクニック上の問題であったのではないかと私は思います。僕は北大ですが、北海道大学の場合はいまから20年ぐらい前に、いま話に出た畜産学教育協議会の分厚い報告書があって、それをもとにして学科の中で随分議論がありました。そして私もその中のワーキンググループのメンバーとしてもいろいろな議論をしています。私は、若かったこともありまして、「畜産学科でなくなってもいいよ」ぐらいのつもりでおりましたが、そうはならないで、畜産学科としてやっていくことになりました。

   それと同時に、北大の場合は学科編成が他の大学の畜産学科とはかなり変わっていました。というのは、学科成立の歴史過程の問題があって、製造系の部分と、いわゆる畜産プロパーといわれる部分、それが2講座ずつ4講座だったというきわめて特異的な存在です。それでどういうことを考えたかというと、家畜の生産から生産物の利用までをそっくり、成長過程もひっくるめて見ていこうとの結論になりました。家畜の定義をどうするかというところまでは詰めておりませんでした。学部改組がいまから7年ぐらい前にありましたが、そのときも畜産という名前は残しました。ただし、看板の塗りかえを求められたので、畜産学科から畜産科学科という名称にして、畜産という名前は残した。今回の大学院の改組に当たっては、そのまま上積みはできないので、学部は畜産科学科のままで、大学院のほうは家畜生産学講座で、改良・増殖、畜牧、栄養のグループ、従来でいえば3講座に相当するもの。もう一つを畜産資源開発学ということで、その中に乳・肉、そして私のところは皮でしたが、それを副次生産物としてやはり3講座、大学院の課程でも両方とも看板の塗りかえはしましたが、大体畜産学科のイメージが残る形でやってきた。最初からの成立過程もあってちょっとほかの例のようにはならなかった。

   ただ、確かに概算要求のときに看板の塗りかえをしなければ通してくれないということはあるようです。

 

松山  唐木先生がお聞きしたのは、何ゆえに看板の塗りかえをやらなければ概算要求を受け入れてくれなかったか、そこのところだろうと思います。

 

渡邉  具体例といたしまして幾つか、大学自身の、大学独自の立場から、文部省と折衝の間でそれぞれによってちょっとケースが違うようです。その付近で、先ほど手を挙げられた奥村先生、どうぞ。

 

奥村  私は名古屋大学ですが、名古屋大学も多分よその大学とよく似ているのではないかと思いますが、改組のときに文部省から示された一つの案は大学科にしようということだったと思うのです。名古屋大学農学部のときは当時6学科あったと思いますが、それを2大学科ぐらいはしょうがないということでしたので、畜産という名前を削らざるを得なかったのが実情だと思います。

   当時、それより数年前から将来計画委員会というものをつくりまして、名古屋大学農学部の10年後のビジョンをつくっていたのですが、そのときに研究分野としては資源生物生産学、資源生物の利用学、それから環境学、生命科学、大きく分けて四大分野ぐらいでやろうということがありましたので、その四大分野のところから名前を取って、農学、林学、畜産学を主とした学科を資源生物環境学科とした。農芸科学、食品工業化学、林産を主体とした学科を応用生物化学科という名前にしたということです。

   その後、大学院の改組がありましたが、大学院の改組のときは一つは大講座にしようということと、もう一つは名古屋大学の農学部はそんなに大きな学部ではないものですから、どういうふうにしてつくろうかということで種々論議があったわけですが、最終的には畜産学とか林学とか、そういう産業をバックにしてそれぞれかつては学科があったわけですが、その基礎学は例えば遺伝学とか、いろいろな学問は別に動物でも植物でも使えるということがありますから、旧来の学問体系はどことなく縦型に細分している学問だった。しかし、そうではなくて横断包括型にいこうというキャッチフレーズで、旧畜産学科も分裂した大学院構成をつくりました。そのときに畜産という名前が消えたのだと思います。

   私の個人的な意見ですが、先ほど菅野先生は、畜産学科という名前は抜けたけれども、あまり教育には関係ないようなことをおっしゃいましたが、私はちょっと違う考え方を持っていまして、大学科にしたことによって、悪くいえばキメラ的な学生が出てきたのではないか。単位が取りやすいところをいろいろ取ってしまって、畜産のプロパーの学生はなかなか育ちにくいのが現状ではないかと思っています。

   話はちょっと変わりますが、最近また独立法人の話が出てきていまして、そこではアカウンタビリティーということが非常にいわれていますが、多分応用ということが非常に問題になってくるので、今度の再編といいますか、組織を変えるときには畜産ということがかなりのところで出てくるのではないかと思います。

 

小川  畜産のことですが、私が農工大学にいるときに何人かの先生を私は記憶しているのですが、食鳥肉検査の問題が出まして、私、座長をして、検査員制度をどうするかということで、結果的には畜産の出身の方にも食鳥肉の検査員の資格を与えていただかないとやり切れないのではないかということで案をつくって厚生省に出したのですが、結果的には自治省が反対して、そんなに公務員は増やせない、これはいまいる獣医師だけでやるのだということで、そういう結果になったら、協議会の先生方、70名ぐらいだったでしょうか、私を呼びつけまして、「なぜこうなったんだ」とだいぶ絞られました。

   そのとき私は必要な基礎資料として集めた資料がございまして、農業高校が59年、60年、61年だったか、ちょっと忘れましたが、3年計画で高校から畜産という名前を消すのだという方針でもう既に動いていたのです。「なぜそうするのですか」ということを聞いたら、実際に入ってくる学生が畜産を希望して入ってこない。ほかに行きたいのだけれども、入れるところがないから、畜産なら入れるからというので入ってくるということで、これはなくしていかなければいけないということが一つ。もう一つは、実際に求人のあるところは工業、工学系、あるいは応用生物的なところ、そういうところで人が欲しいのだから、イメージもあまりよくない。だから、とにかく3年間で消すのだと。実際には少し残ったように聞いておりますが、文部省の大方針でそういう動きがあったのです。

   そのことが各大学が再編するときに文部省の頭にあって、そのときに言ったそうですが、大学もいずれそうするのですよと。ですから、基本的に工業で人が欲しい、そちらに人を回すために大学の教育システムをどうするかということはあったのだと思います。そのことが一つ大事なことであって、ここで理屈をいくら言っても詰められないところがあるのではないかという気がいたします。

 

渡邉  現実の問題といたしましては、いま先生がおっしゃったようなことでの高等学校から、農業高校からの改編ということを文部省主導型で、頭の上で計算されていってきたというのが一方にはある。もう一つには別のファクターがあると思いますが、先ほどのことに関連しまして、大島先生、同じ名古屋大学にしばらくいらっしゃったわけですが、ご発言をお願いします。

 

大島  去年、名古屋大学を定年退職しました大島です。専門は草地学です。いまの問題ですが、確かに文部省の指導はいろいろ出ていますが、それにつられて大学がどんどん、ただお金欲しさに改編したと考えるのは非常に寂しいと思うのです。先ほど濱名先生はアメリカでは厳然としてアニマル・サイエンスがあるとおっしゃいましたが、アメリカと日本では社会的背景がかなり違います。アメリカとかイギリスとかフランスは畜産というのはむしろ農業の柱であって、きちんとした学問体系が保たれています。近藤先生の北海道大学では今でも畜産学という名称がありますよということですが、北海道もまさにヨーロッパと同じようなところでして、畜産という産業背景がしっかりあるから、それでぴしっといけるのだと思います。

   ただ、ほかを見たときに、いま畜産業は、確かに生産は増えているかもしれませんが、生産人口とか、あるいはそれを指導するための人はそうそう多くは要求されない時代になってきている。それ以外に環境問題とか生命科学とか、いろいろな分野が膨らんできて、むしろ畜産という名前がアニマル・サイエンスの一分科にすぎなくなっているのではないかととらえています。ですから、畜産という看板を掲げていたら、そこに来る学生の教育の一部分しかあらわさなくなる。それだったら、適当な名前にして、本来の畜産をやる人もいますよ、あるいは環境問題に携わる人もいるかもしれない、あるいは生命科学的な基礎をやる人もいるかもしれない。そういう人も対応できるような学問分野として畜産以外の名前があってもいいと思うのです。

   ただ、それについて各大学が自由気ままに、何かわからないような名前を付けていることに非常に矛盾を感じます。私自身、名古屋大学の講座名を未だ正確に言えないような状態ですが、その点、獣医は違います。獣医はきちんとベテリナリー・メディスンといって、獣医学という専門性をきちんと持って、一つの目的がある。ところが、畜産学ではいま、教育目標が多様化し、従来の畜産技術者を育てるという目的は部分的なものになっている。むしろ私は名前を変えるほうに賛成です。

   ただし、受動的に名前を変えられてきたいきさつもよく知っています。私は以前、香川大学にいました。あそこは非常に新しいもの好きで、いろいろ変えていく大学だったのですが、学科名称を変えるのも率先してやりました。その際、文部省に要求を持っていきましたら、農学部名称も変えたら要求を認めるということでした。それでは学部名称を変えましょうと、学部名の変更案を持っていったのですが結局、それには及ばないということになりました。各大学が確かにそういうことに縛られてきていますが、畜産に関しては基本的に変えるべき運命にあったと思います。

 

松山  濱名先生がおっしゃった畜産学の名称の変更は、佐々木清綱先生のような一定の理念のもとに動いたものではないことは私も想像しています。あくまでも現実を直視した、現実に応じて動いていったのだろうと私は理解しております。つまり、トレンディーではないからトレンドなものにしていく。多分そうではないかといまでも思っておりますが、私はある程度の年ですから、寂しく思いますし、最も大事なのは農学部そのものの名前すら危なくなっていることにある危惧を感じざるを得ない思いです。

   先生方がいまおっしゃられましたが、獣医学は確固たる名前があるとおっしゃいましたが、これだって危ないものでございまして、私はいま獣医師会にいますが、会員諸氏からよく言われるのは、獣医という名前はよくないからやめろ、変えてくれ、という話は往々にあります。獣は嫌だと。やっている内容は獣だけではあるまい、四つ足だけではなくて動物全体をやっているのだから、獣医という名前はやめて、動物医とか何かにすべきである、法律もそういうふうに改正すべきである、大学の学科の名前も変えるべきであるという意見を持つ会員がいるわけです。

   これは実は4〜5年前に獣医師法改正という大きな法律の改正がございました。獣医師法改正と獣医療法という新しい法律をつくったときに、所轄官庁である農林水産省の中でも相当論議したらしいのですが、変えたほうがいいではないかという案もかなり強かったらしいのですが、お役所なものですから、獣医師という名前を変えると、農水が持っている法律だけではなくて、他省庁所管のあらゆる法律を変えなければいけない。文部省のほうも法律だけでなく省令、その他も変えなければいけない。例えば獣医学という言葉も変えなければいけない。通産省の中の法律も、厚生省の中の法律も変えなければいけない。一つの法律を改正するだけでいまごったがえしているときに、担当者が非常に面倒くさがって嫌がった。これが一番大きな原因らしいのです。それで獣医という名称は残した。これを一つ変えることによって、あらゆる省のいろいろな法律を全部変えなければいけない。本当はそんなに大変ではないのです。それをもって読みかえるとすればできるはずなのですが、それが大きかったということで変えなかったということがあります。獣医学、獣医師という名前そのものも変えたいという流れは今でもあります。獣医学という名称が確固たるものではないということもご理解いただきたいと思います。

   私は昔、農水の研究所におりましたが、国の機関としては公務員の定削でどんどん削られていくわけです。研究室の定員を削っていくわけです。そうすると、ある組織を守ろうとする場合には、削られるのはしょうがないのですが、変わった新しい名前をつくって新設の研究室を持っていけば認めてくれるのです。そうすることによって従来の母体を守ろうとして、本来は、例えば私は家畜衛生試験場ですが、家畜衛生試験場の守るべき守備範囲はあるのですが、これがどんどん縮小される半面、新しい名称で新しい分野を入れることによって定員が維持できる。そうすると全体がいつの間にか、おかしいといえばおかしいのですが、ちょっと広げることもできます。時には変な方向にいくことも現実にございます。そういう傾向もあって、大蔵とか所轄の官庁、例えば大学の場合には、文部省の場合にはそういうことによって自分の守っている分野の定員を減らさない。あるいは、維持ないしは拡大していこうという文部省さんの腹があって、名前を変える方向にいったのではないか。私はそういうふうに理解しています。

 

高橋  いまお話を伺っていまして、畜産関係の卒業生が1,800名ぐらいということです が、その約8割が私立大学。いま国立大学の場合にはそういう文部省主導型なり、あるいは大学の存続理由があって名称を変えたり、あるいは内容を変えたりということがあるのでしょうが、私立大学の場合もやはり同じ影響を受けているのかどうか。もう一つは、畜産学というか、畜産の内容を背負って立つ8割の私立大学の学生が、あるいは私立大学が、畜産学というものをどうお考えになっておられるのか。これは獣医学においてもこのような問題をかかえておりますが。

 

渡邉  いま高橋先生からご質問をちょうだいしましたところをお話し申し上げようかなと思っていたところでございますが、濱名先生からご指摘のような形で畜産学科というものが消えていった。ただ、国立の場合には、ちょっと語弊があるかもしれませんが、やや文部省主導型、あるいは概算要求をちらつかされるから万やむを得ないということ。私立の場合もだいぶ変わりましたが、ちらつかせ方、ちらつき方が違う。文部省でなく、むしろ経営ということがございまして、入学生の志望がどの辺に入ってきているかということだと思います。

   畜産も、あるいは先生のところの環境生物も同じやに思いますが、最近の高校などが、先ほど農業高校の畜産が廃止されたということとの兼ね合いもあるかもしれませんが、大動物指向ということではなくて、動物が好きなのだ、野生動物が好きなのだ、環境保護だ、保全だ、こういうところで非常に希望者が多いということでの指向性が高くなってきた。したがって、幾つかの大学ではそのターゲットを受けとめるべく大学改革がなされた。それと文部省との関連がどうか、私は十分わかりませんが、そのようなことを漏れ承っております。私どもはいまのところ畜産学ということで、濱名先生と同じように、畜産学科という名前が消えたことに対して大変寂しく、あるいは場合によっては憤慨を感じているところではございますが、実態はそんなようなことでございます。

   先ほど菅野先生のご発言の中にございましたように、私立大学畜産学教育研究会というのが10年ぐらいになるというお話を申し上げまして、ここへ来まして、従来からずっと入学生の希望調査を追いかけてきています。そうしますと、各大学、各学科の名称に応じまして入学生の志望が特色的に偏るわけでございます。大学はそれぞれ特色が出てきています。うたい文句に沿って学生諸君が応じてきているということでございます。

   ここへ来まして卒業の時点でのアンケート調査をし始めたところでございますので、これを踏まえていけば、教育効果と名称変更と、先ほどございました畜産学をうたっていないところでの教育内容と学生たちの印象、評価といったものがやがて出てくると思っておりますが、まだそこまでいっておりませんが、ややそういったことが出てきて、不十分な効果というか、不満があるいは出てくるところもあろうかなというところもちょこちょこと見えているのではないかという気もするところです。

   そこで、畜産学の卒業生が1,800名ぐらい。私が勘定しますと、7割ぐらいが私立だと 存じますが、その7割の中でも、先ほど矢野先生がデータでお示しいただきましたようなことで、半分ぐらいが関連産業に携わっている。その他に携わっている卒業生といえども、やはり畜産教育を受けた範疇での仕事で活躍をしているということが考えられるのではないかなと思っております。従って、動物資源あるいは応用動物、あるいは資源動物といっております学科の学生たちが、ここで改革されましてから6〜7年になりましょうか、やがてそういった学科名称と現実の問題、あるいは卒業後の就職の方向性も明らかになってくるのであろうかなと思っています。

   ただ、もう一つ気になりますところは、先ほど食鳥肉検査のことについてご発言がございましたが、これを初めといたしましての畜産学科卒業生、あるいは動物資源学科卒業生といったようなものが、免許に対してあまり十分な配慮がされていないという過去の実績がございますので、やはり畜産学教育を十分に行ないながら、動物生産学、応用動物科学など、学科名を何とうたおうとも、資格として、国家試験などによる免許を与えるように十分に配慮してあげないといけないのではないか。

   ただ、免許ということになりますと、どうしても獣医学科の卒業生と対立するということではございませんが、その辺の関係が獣医学科の卒業生と非常に深くなって参りますので、その付近の配慮で苦慮するところでもございます。この付近に対しましても獣医学の先生方のお力添えを頂戴できれば大変ありがたいなと思っているところでございます。

 

菅野  私は3年前に東北大学を定年退官したわけですが、先ほどの議論の中でなぜ名前が変わったかということについては、いろいろ先生方から出ましたのでお話しいたしませんが、ちょっとお伺いしたいのは、今回の獣医学の再編という形は、いわば獣医学関連の先生方から出たのか、あるいは先ほどの文部省主導型から出たのかということですが、唐木先生のお話では「むしろ自主的におれたちはこう改革したいのだ」というふうに伺ったのですが、この辺については、毎年卒業する学生のニーズとして、実際、医師会あたりは常に調節しておりますが、その面の関連とか何かございますか。

 

唐木  これは長い歴史がありまして、6年制を実施したときに既にそれぞれの大学では十分な獣医学の教育ができないことはだれの目にも明らかだったわけです。そこで文部省が再編整備を指導されました。われわれとしましては、6年制を機に各大学が純増で大きくなりたいという希望が強かったのですが、全大学を倍の規模にすることは不可能だということで再編整備を始めたわけです。

   結局、先ほど申し上げましたように、総論賛成、各論反対ということで、ほとんど暗礁に乗り上げたのですが、一、二の大学ではかなり進んで、学部長同士の話し合いまでいったところもございます。それは東大と農工大学だったのですが、ちょうどそのときに、もうこれは時効だと思いますのでお話ししてもいいと思いますが、中曽根内閣から竹下内閣にかわりました。竹下内閣の方針というのは、ふるさと創生、首都一極集中はまかりならん。首都圏の大学をこれ以上大きくすることはその方針に反するということで、急遽、東大、農工大学、どちらにいくかは別として、首都圏の大学をこれ以上大きくする話は中断いたしました。

  それで一番困ったのは大学院の問題です。マスターを使って5年制、6年制にしたので、大学院がない獣医学科ができてしまう。 これは何とかしてほしいということで、緊急避難的措置として超広域の連合大学院が出てまいりました。私たちとしても、こんなことは長くは続けられない。文部省もこれは緊急避難的措置なので、可及的速やかに解消するつもりでした。

   しかし、今度はわれわれ自身のほうの問題ですが、もうこれでやっているのだからいまさら苦労するのはやめようよという雰囲気がでてきたということがございます。しかし、毎日毎日教育していて、いい学生が来るようになってくると、やはりこのままではいけないということで、ぜひ再編整備をしようという気分がこの数年間盛り上がってきまして、こういうことになったということでございます。

 

渡邉  それではこの付近で高橋先生に司会をバトンタッチしたいと存じます。

 

5.自由討議(2)

 

高橋  それでは、司会をかわりまして進めさせていただきたいと思います。佐藤先生、ご意見がありましたら。

 

  佐藤  いまの質問に関連してですが、私は東北大学におりまして、先ほどの唐木先生のお話で東北大の話題が出てきましたが、私としては非常にいい話だなと思っているのですが、スケールメリットということですが、実際にEUのベルン大学の獣医学部が不合格になった。そういうことでいくと、この4つの大学が合わさっても、本当にスケールメリットが生かせて、そういう基準をクリアできるのか。そのときに、獣医だけではなくて、ほかの周辺の例えば農学部の中の食品関係あるいは畜産、そういうところの協力を得ながらいかないと、このスケールメリットあるいはEUの基準は満たせないのではないかと思うのですが。この4大学がまとまれば本当にスケールメリットが生かせて、ちゃんと世界的に通用する獣医学部になると考えられているのかどうか。

 

唐木  それは大変難しい問題ですが、アメリカはアメリカ、EUはEUの家庭の事情がございまして、先ほど畜産の現状が全然違うという話もございましたが、そういう現状を踏まえて、われわれは日本の獣医がどうあるべきかということを考えざるを得ないということです。それが大学基準協会の、日本では最低72名の教員がいれば獣医学教育をほとんどカバーできるのではないかという結果になったのだと考えております。したがって、将来アメリカあるいはEUと対等の獣医学の資格を認め合うようなことが来ましたときに、日本の教育レベルは低いではないかといわれる可能性がないかというご質問だろうと思いますが、私は日本は日本の畜産業あるいは獣医学の事情がある。それは欧米とは随分違うということを説明すれば十分納得していただけるものだと思っております。

   具体的にいいますと、やはり大動物臨床は全く違う。ご存じのように、欧米では馬をレジャーのために使うということで、大動物臨床のほとんどが馬を対象にしている。日本はそれがほとんどゼロということがございます。そのような事情の違いを説明すれば、私は大学基準協会の基準は日本の現状に十分合っているものですし、それで最低限の教育ができると考えております。

  もう一つお話がありましたほかの分野、例えば畜産の先生方と協力して動物の教育を充実していくということは、われわれも十分に考えなければいけない問題ですが、これはわれわれがプランを立てて「こうしましょう」というのは僣越ですので、ぜひこういう機会にお互いに、こうやったら助け合えるということをご相談させていただきたいと思っております。

 

小川  いまのお話にちょっと関連させていただいて、従来の畜産が生産から加工までの工程でとにかく効率というものを追いかけてきた。それは当然だったと思うのですが、いまそれでは立ち行かなくなったのではないかということで、一つは生態系の中でちゃんとバランスを持てるような畜産学をやらなければいけない。それから、安全という言葉も先ほど出てきたと思うのです。安全な食べ物であるということ。それともう一つ出てきたのは機能ということです。機能は多分食べ物としての機能だったと思うのですが、動物機能という点でも大事な要素を含んでいると思うのです。この安全とか動物機能とか、あるいは食べ物としての機能、それから生態系の中でのバランスということ、これは実は獣医学でも全く同じ、これから考えなければならない非常に重要な項目だと思います。ですから、共有しているところがあると思います。

   ただ、そこへどう踏み込むかというのは、いままでの歴史とか学問基盤の特徴があって、それぞれちょっと切り口が違うと思うのです。違うから、妙な対立は生まれないと思うのですが、しかし一方、獣医学だけからやっていたら非常に弱いものになる。そういう点では、畜産と獣医の両方から、先ほど最初のところで両立して云々ということが出ておりましたが、やはりそういう面が非常に大事ではないかと思います。それにはお互いにそういうことを認識し合って、お互いに協力する形で両方から攻めていくということをどこかで意思疎通を図りながらやっていくということが、獣医学の発展のためにも、畜産の発展のためにもいいのではないか。それが両者の社会的な評価を高めることにもなるのではないかと思います。

   そういう分野はいままでもたくさんあったのですが、あまり注目してこなかった。これからはそれをやらないと、いくら名前が変わっても、私は名前にはあまりこだわらない主義で、大事なところはそういうところにあるのだから、それをちゃんとやっていく。歴史的に変わっていく社会ニーズというものをちゃんと踏まえてやっていくことが獣医学、畜産学の使命だと考えています。

  高橋  畜産学にしろ、獣医学にしろ、動物がいなければ相手にならないことですから、動物がいて、そこで畜産学なり畜産学教育なり、あるいは獣医学なり獣医学教育なりという問題が出てくるのだろうと思うのです。もともとその辺のところを車の両輪のような形で両者が協力体制を取れればそれにこしたことはないだろうということです。どうも古くから畜産と獣医とは少しずつ背中合わせになっているところがあるように私どもは聞いておりますが、いまの世代にそういう過去の状態を引きずりながら、獣医学だ、畜産学だということではなくて、もう少しそこのところはお互いの分野をきちんと把握しながら、それぞれの分野で提携するということが必要なのだろうと思うのですが、その辺のことについて何かご意見はございませんか。

 

矢野  いまの小川先生のご意見、獣医学の先生方と畜産学の先生方がいろいろな意味で意思疎通しましょうというのは非常に大事なことで、今回、高橋先生と渡邉誠喜先生、両研連委員長が、研連同士でまずとりあえず第1回目の話をしましょうということなのですが、いま言われた食品の安全性とか、あるいはその機能性の問題とか、あるいは生態系を取り入れた字句、そういうものは畜産にとっても非常に大事で、まさにそれが大きなターゲットになってくると思います。

   では実際に具体的にどういうことがあるか。これは全く思いつきのことですが、高橋先生にも「この会は1回でおしまいにしちゃだめですよ。また続けてこういう会を持ったほうがいいですよ」ということを申し上げたのと、畜産学会あるいは獣医学会のときに、もしそういうテーマでシンポジウムなりワークショップなりが持てるのであれば、獣医学会のときに畜産学の先生が出ていくとか、畜産学会のときに獣医学の先生が入っていくとか、そういうもので交流が一歩一歩必要なのではないかと思います。

  いま名前が変わって、畜産学というのは応用動物科学ですが、やはり動物を有効に利用する。これはむろん食の資源としても有効ですし、ほかのいろいろな形で有効に利用できます。そういう考え方というか、多分そちらのほうにだんだん動いていくのではないか。むろん旧来の意味での家畜もそういう意味では応用動物の大きな柱ですし、ほかのところも入ってくる。そういうことになってくると、獣医の先生方とますます協力というか、情報交換が必要になってくるのかなと思います。

 

佐藤  東北大にいてこの間の経緯で感じますことは、獣医の先生方にはいろいろな立脚点がある。特に医学サイドの立脚点とかいろいろありますが、畜産学をあまり重要視していない印象をうけます。畜産学の存在をあまり重要視していない。そういう意識がたまに見られる。やはり畜産学をいかに大事に扱うかというところがないと、こういう展開は非常に難しいのではないか。獣医学の立脚点は農学部の中、特に畜産学の中に非常に強いと思いますので、例えば交渉事をするとか、いろいろなことをするときにそこのところを踏まえていただかなければ、なかなかうまくいかないのではないかと思います。

 

高橋  獣医学の立場で畜産学の分野をきちんと理解していないのではないかということは、具体的には例えばどういう問題があるのでしょうか。

 

佐藤  かなり細かい話になるところですので説明はいたしませんが、いろいろな形で動くときに、そこのところを踏まえて対応していただくのが非常に重要ではないか。畜産学というものを踏まえた形、農学というものを踏まえた形で動いていただくことが必要だと思います。

 

濱名  いまのお話とも関連しますが、本日御出席の畜産の先生方はどちらかというと獣医学科を持っている大学の先生が少ないですね。例えば、私のいる鹿児島大学には畜産学と獣医学があります。獣医学再編の話を畜産の先生方と前から何回かしていますが、ある先生は「獣医がなくなると絶対困る、自分たち畜産学教育をどうしてくれるのだ」と、非常に反発されます。また、ある先生は「君たちは母校愛がないのか」とか、あるいは「地域に対する愛がないのか」といわれます。それらについてわれわれは十分に愛着があり、私自身は鹿児島にずっといたいという気持ちです。

   しかし、先ほど唐木先生が説明されましたように、畜産学がいろいろな分野に発展してきたのと同じように、獣医学の分野も変わってきております。例えば獣医の卒業生の50%近くは小動物の臨床にいっております。欧米を見ましたら、先週フランスを視察して、ツールーズ大学とかアルフォール大学を見てきたのですが、卒業生の70%が小動物、残りの30%が馬を中心とする大動物ということで、ほとんどが臨床にいっています。私が学生のころは、菅野先生が言われたように、畜産と獣医は全く同じで、私自身は最初畜産学科に入りました。ところが、東大の場合は学科名は違っても、教官が一緒だったので、1カ月以内にどちらに変わってもいいと言われました。いろいろ当時の先生方に、獣医をやったほうが大きな意味で畜産も理解できるとか、資格も取れるとか言われ、獣医に変わったいきさつがあり、私自身の気持ちは今でも畜産なのです。

   そういうことで、例えば鹿児島大学から獣医がなくなったら困る。なぜ困るかというと、畜産学教育ができないからといわれます。実際に解剖学とか生理学とか、私自身が担当している家畜疾病学とか、人工授精師や受精卵移植の資格を取るための臨床へ繁殖などの講義や実習を獣医の先生方がしております。それは十分わかるのですが、欧米の状況を見たり、これからは国際的な分野も考えざるを得ないし、先ほど唐木先生が細かく説明されましたように、例えば宮崎大学、鹿児島大学における獣医学部の創設は絶対できないでしょう。絶対だめだというものに何回も挑戦するよりも、現有の勢力で何とかしないとタイムリミットがきます。本当は10年前に来ているべきだったのですが、10年前には私、ちょうどいまでいう学科長をやっていて一生懸命動いたのですが、結局だめになりました。ここにきてまた獣医の全国的な配置や数の多さなど、いろいろな理由から万やむを得ないということで、鹿児島大学の獣医学科の教官は、個人的に濃淡はあるでしょうが、4大学が一緒になろうということで、はんこを押したわけです。

   では畜産学科の先生方に対してどうするかといいますと、畜産学教育を継続するために獣医学科のどういう分野が欲しいとか、地元の畜産を支えるためにどうしたらいいかという話し合いをしておりますが、まだ具体的には進んでおりません。獣医学科のある大学に獣医学部をつくることは、先ほど唐木先生が言われたように不可能です。お互いに損をしないといけないというところから、九大に置きますが、その場合でもやはり畜産というのは全国的に見ましてそれぞれ発展地がありまして、南九州は非常に大きな畜産地帯です。そこで南九州に産業動物臨床教育センターを置きまして、地元の畜産をしっかり支えようという姿勢を示しております。文部省との折衝がありますから、そのとおりいくかどうかわかりませんが、私自身はぜひ実現したいと思っております。そういう配慮をしながら、とにかくまとまらないことには、はしにも棒にもかからないという現状に追い込まれていますので、ぜひ畜産学の先生方にそういう獣医の現状を理解していただいて、むしろわれわれと非常に仲が近い立場から、ぜひバックアップする側に回っていただきたいと思っております。

 

佐々木  私はいまの獣医学教育を充実させるために幾つかの大学の獣医学科を統合して充実させるという考え方に賛成ですし、むしろ畜産でも当然それを考えないといけないと思います。私の大学の中で、植物病理の先生と話していても、そういう分野でもいまのように1講座で教授、助教授、助手という単位でやっているのでは太刀打ちできないという意見は非常に強いと思います。ですから、先ほど申しましたように、畜産のグループがわずか5講座ということですが、育種の分野でいえば1講座、4名のスタッフです。一方、欧米では、特にアメリカなどでは家畜の育種という1つの分野でも10人、15人という単位で構成されているわけです。そういう意味からいうと、畜産の分野でも獣医学の場合と同じことがいえるので、むしろどこかに統合されていく必要があると思います。

   ですから、今回の改組はある意味でいったら隠れみのであって、生物生産科学科という大きな風呂敷に包まれている。その中で昔の学科がちりぢりばらばらになったところは大変だと思うのですが、われわれ畜産グループはできるだけ一緒に集まっていこうということでやっているのですが、時期が来れば、いまの獣医と同じような形でどこかに大きな畜産グループとしてまとまるということを考えるべきではないか。それは先ほどの唐木先生のお話を伺っていて、みんなが損をして、みんなが得をするのだということですが、そうすると今度、例えば具体的に挙がっている九州大学ですと、他の学部、研究科から今度はいろいろなクレームなり、ひがみなり、いろいろ出てくるということなので、これはやはりギブ・アンド・テイクのような形で、ある大学は獣医学科で充実するけれども、ある大学は園芸学科で非常に充実するとか、植物生理で充実するとか、あるいは畜産で充実するとかいう形がとれないと、うまくいかないのではないかという感じがします。

   そのときに、獣医の場合には九州大学に集まるとしますと、濱名先生が畜産の臨床、繁殖とか、臨床関係のところで非常にご活躍していただいているのも知っていますし、感謝しているのですが、いまお話に出ましたように鹿児島にセンターをつくられるにしても、濱名先生が福岡、博多に行かれたのでは、いまの活動はなかなかしにくいのではないでしょうか。ですから、獣医の中にも大動物の家畜を対象とした獣医で充実するところは産業的な背景のある南九州なり北海道なりで、小動物のペットとか伴侶動物、そういうものを対象とする獣医は都会でもいいのではないか。そういう形で配置を考えていって、そのときに農学部間で取引をするような感じの方策が考えられないとなかなか難しいのではないかという感じがしています。

  唐木  まさに先生がおっしゃるようなことを私もご説明しようと思ったのですが、大学の入学定員が80万人ある。それが10年以内に 入学する学生が60万人になるので、20万人分はあぶれるという現状が来る。そのときにどこがつぶれるか。国立大学だけが無傷でいられるはずがない。5年前に銀行がつぶれるとはだれも思っていなかったように、5年後には国立大学の学科あるいは学部の定員割れが起こってつぶれていく。

   そのときにわれわれは何をするのか。まさに先生がおっしゃるように、特徴ある、大学審議会の言い方をすれば、個性の輝く大学を作る。個性の輝く大学というのは何なのか。やはり特徴なのだろうと思います。うちの大学は畜産学が特徴なのだという大学に他大学の教員も集まる。そのかわり、そこの大学の特徴にならない学科は別の大学に差し上げる。われわれも獣医の再編は、このようなバーターをやれればうまくいくと思いますが、今はむずかしい。5年たったらこれはできると思いますが、5年待てないというので、いま仕方なくこういうことをやっている。5年後にはまさに先生がおっしゃるようなことが現実になるだろうと思っております。

 

高橋  それは大学の行政独立法人化という問題とかなり関連がありますね。行政改革本部では一応2003年までには結論を出すという形になってきているようですから。それと同時に、今度は大学評価機関ができますので、その辺で国立大学の場合にはかなり厳しい状態になってくる可能性があるだろうと思います。いま99校ある大学が恐らく最低20校はつぶれるだろうという予想をしているようですから、文部省は既にそういう下ごしらえをしながら事を進めているというのが現状ではないかと思います。

   国立大学にはそういう現状があるのでしょうが、畜産学なり獣医学という場合は、その6割から7割が私立大学の卒業生、つまり第一線で働く技術者なわけで、ここが問題になってくるわけです。そういう場合に、獣医学と畜産学と両方が両立していくためにはどのようなすり合わせをしていったらいいのか、あるいは住み分けをしていったらいいのか。その辺の理解度を深めていく、あるいはその理解を広めていくことが非常に大事ではないかと思うのですが、その辺の住み分けなり、すり合わせなりというところでご意見をいただければと思います。

 

佐藤  その住み分けですが、あるところの獣医を充実させるために畜産がどこかと取引するという話も出てくるかもしれませんが、私はやはり大きな畜産学があるところに獣医学があるというのが非常に重要ではないか。そういう意味で、カリキュラムの問題とかいろいろなことからいきますと、獣医、畜産というのは両方で発展させる。そこにリンクした形であるというのが重要だと思っています。

 

菅野  いまの住み分けの話ですが、結局文部行政の中で具体的に本当に畜産学と獣医学とが住み分けされているのかどうか。こういう言い方をするとちょっと問題があるかもしれませんが、具体的に東京大学の畜産学科が獣医教育をするとか、畜産学科はいらないという、先ほどの先生のお話のその経緯が気になるのです。結局そういうことで住み分けを行政の中で本当にされているのかどうか。

   それと、新しい一つの流れの中には、筑波大学から出た一つの体系の流れに少し乗った改革を各大学にさせてきているという部分があったわけです。それから、元家衛試の場長がおっしゃるような一つの時代の具体的な流れと、そういう三者の流れの中で出てきたわけですが、実際にわれわれの中では住み分けはしているのだけれども、具体的に行政サイドが本当にそういうことをしているというか、そういうきちんとした理念とか概念を持っているのかということが一番気になるのですが、その辺についてはどうでしょうか。文部省と直接お話しされた方がいらっしゃると思うのですが。

  それと、具体的に確かにスクラップ・アンド・ビルドという言葉がありますが、その中の具体的なやり方は非常に困難なことだと思います。唐木先生がおっしゃるように、具体的に現存するものは。例えば、東北大学あたりでも農学研究所というのがありまして、農学部が新たに昭和21年にできたわけです。農学研究所は北大が北海道大学という形で離れたときに、何年か後に農学部が欲しいとすぐやったわけですが、なかなか文部省は認めてくれなくて、まず東北地域の農学ということで非常に大切だからということで、農学研究所をつくった。その流れがずっと来て、結局最終的にはこういう改組が始まったときには、遺伝生体研という形で時限研究所になって、10年過ぎまして、今度また新たな一つの存在のあれをまた名前を変えたりして存続しているという現状があります。

   ちょっと話がそれたのですが、最初の問題について何かそういう点でのあれはないでしょうか。

 

松山  先生がおっしゃるように、住み分けは非常に難しいと思います。私の経験で申し上げれば、家畜衛生試験場と畜産試験場の特に繁殖部門は完全に重なる。ところが、行政サイドに説明するときには住み分けしなければいけないのです。住み分けをしないと金が出てこない。ですから、表向き建前論で住み分けいたします。ですから、いま先生方がおっしゃる畜産の立場と獣医学の立場と、文部省に対しては建前論で住み分けをしておかないとまずいと思っています。現実論として。しかし、でき上がってしまったら、あとはいくらでも相互乗り入れは可能ですから、でき上がった後で相互乗り入れすればいい。

   先ほど佐藤先生がおっしゃいましたが、畜産の存在を無視しているような傾向があるとおっしゃいましたが、私は獣医学研連の中でも、獣医学は畜産の振興に大いに寄与していることを忘れてはいけないということを申し上げたことがあります。ただ、獣医学の再編整備の話をするときに畜産の話を持ち出しますと、場合によっては畜産が取り込まれてしまう、畜産が飲み込まれてしまうような懸念を抱く先生がいらっしゃるのではないか。それを恐れるあまり、こちら側の先生方は皆さん、畜産の先生がたの誤解を避けるためにおっしゃらないのだと私は思っております。わが畜産界の仲間でそういう誤解される先生が出てくると決してプラスにならない。文部省サイドに聞こえたときにマイナスになる。ですから、あえて獣医学関係の先生方は畜産のことはあまりおっしゃらない。しかし、念頭には必ずあると思っています。

   もう一つは、私どもの獣医学の立場としては、畜産だけではなくて、独立して学部ができれば、今度は医学との相互乗り入れも考えなければいけない。また、そのほうがより効果的な教育ができるだろうと思っています。ただし、いまはあまり申しておりません。それは唐木先生もおっしゃったように、あまりにもおこがましいし、あの学科のあれもうちでやりたい、やったほうがいいと言ったって、向こうが応ずるかどうかわかりませんが、現実にでき上がってしまった後は、交渉して相互乗り入れはやらなければいけないと思います。しかし、いま現段階において、医学部の解剖だとか発生だとか、ああいうものも一緒にできるからいいですよといったって、医学部の先生がそれでいいとおっしゃるとは限らないし、畜産学科の先生、あるいは食品工学でも、安全性に関するものをほかと一緒にやったら効果的だといっても、場合によっては、例えばの卑近な話ですが、畜産学の場合に東大の獣医学科の例のように、持っていかれて、とられてしまうのではないかと思われる先生がいらっしゃるかもしれない。いらっしゃったら、その構想にマイナスに働きますから、かなり遠慮している面があるのではないかと私は理解しておりまして、住み分け論に関しては、建前として住み分けはいまやらないとなかなか進まない。しかし、現実論としては本音は、それが終わった後ではいくらでも相互乗り入れができるのではないか、協力できるのではないか、こういうふうに持っていくべきではないかと考えておりまして、いまのうちから両方で融通し合っていこうなどというとなかなか話は進まないのではないでしょうか。

 

山本  唐木先生のお話を聞いていますと、先ほど小川先生が言われたような問題を浄化して、臨床と公衆衛生という印象でしたが、そこにたどり着いたというのは、住み分けというか、表面上のことだというお話でしょうか。というのは、獣医が6年制になるという話が20年以上前からあって、その時は6年にするというのが大目的だったと思います。とにかく何としても6年にするということで、マスターということまで認めてつくったのだと思います。

   あのとき畜産側からみていて、畜産的な、先ほど小川先生が言われたような、獣医の学生を育てるのに大切な畜産領域をどれだけ取り込んでいかれるのだろうかということに、私には非常に関心がありました。これまで18年ぐらい獣医では、内部的には重い教育負担に、社会的にはいろいろなクレームがついてずっと苦しまれたのだと思うのです。そしてどうにもならない状態になってきたというときに、一つの解決の方策は、畜産に人的資源があるわけですから、そういうものをいかに取り込んで、新しい日本的な獣医畜産教育というものも考えれば考えられたと思うのですが、それはやはり無理だということで、考えに考え浄化した結果、先ほどの唐木先生のお話のような、臨床と公衆衛生部門だけでやっていきますという答えが出てきたのかなと聞いたのですが、実際は、本音は違うというのでしょうか。

 

唐木  それには2つのお答えがありまして、まず浄化をしたのかどうかということですが、先ほどお話ししましたように、6年制になってからの教育も、昔のマスターの制度をそのまま続けざるを得なかった。その結果何が起こったかというと、基礎中心の教育になってきた。その結果として臨床と公衆衛生がおろそかになってしまった。これは獣医の最も特徴的なことをわれわれ自身で捨ててしまっているところで、そこをぜひ強化しなければならない。これは浄化でも何でもない、われわれが一番の希望するところを申し上げたわけです。ですから、基礎については日本は欧米諸国に負けない。むしろわれわれのほうが上だと思っています。ただ、臨床と公衆衛生に関しては問題がある。

 

山本  と申しますと、生理、解剖、生化学とか、そういう分野は少なくなりますね。

 

唐木  われわれが言っているのは、いまのレベルよりも基礎は絶対落とさない。そして、臨床と公衆衛生についてはいまの何倍かにしたいということです。

 

山本  いままで基礎をやった人の少なくともポストが臨床、公衆衛生ということになりますから、歴史的に見れば数は少なくなりますね。レベルは高く維持できても。

 

唐木  そうですね。基礎の先生が受け持つ学生の数は増えてしまいます。4大学一緒になれば、生理は4講座あるのですが、それを2講座ぐらいにしなくてはならない。残りの2講座は臨床関係か公衆衛生関係に動かざるを得ない。そうすると、残った2講座が受け持つ学生の数は増えます。しかし、全部の科目はそうやってカバーせざるを得ないということで、私はそれでレベルは落とさないでほしいなと思っております。それが一つの答えです。

   もう一つは、先生がおっしゃるように、畜産と協力をしなかったのか。これは全国的にはあまり例がありませんが、東大だけではそれをやっております。それは、畜産を応用動物科学専攻という形でまず大学院をつくり、いまは学部学生を取るようにして、それと獣医とは非常に密接な関係を持って、100%支援していただいて 獣医学教育を助けていただいている。

 

山本  しかし、鹿児島は、先ほどから濱名先生が言われたように、密接にやっていても、一体化することはできなかったわけです。多分岩手大学などもできなかったのではないかと思います。

 

唐木  各大学それぞれ事情があるようですね。

 

山本  難しいですね。

 

大島  先ほどから教員数については伺ったのですが、技術スタッフを、欧米並みといかなくても、ある程度確保するというのは非常に難しい状況ではないでしょうか。

 

唐木  それが大問題です。少なくとも動物を飼育したり、教育を支援するためには教員数と同じぐらいの技術スタッフが必要だというのが欧米の常識ですので、日本でも数十名の技術スタッフを要求しろという声は獣医の中からございます。ただ、スクラップ・アンド・ビルドが原則の再編計画の中で、スクラップになるものがない。技術職員は本当にのどから手が出るほど欲しいのですが、いまのところあてのない話ですが、今後ぜひ考えていかなければいけない問題だと思っています。

 

大島  現実問題として、名古屋大学の付属農場、非常に小さい農場なのですが、私が赴任したとき、13年ぐらい前ですが、技官が12人いたのですが、いま5名になっています。これは全部定削で減らされてしまった。とても実習教育などはできる状態ではありません。

 

唐木  東大付属牧場も似たような状況です。

 

濱名  先ほど畜産学科と獣医学科が一体となってそれぞれの教育ができないかということですが、これは私、鹿児島へ来る前に10年間、宮崎大学にいまして、佐々木先生もご一緒だったのですが、そのときに宮崎大学の畜産と草地と獣医の3つが一緒になって、名前は畜産獣医学部でしたか、非常にいい案を作りました。入学のときは学生を一緒に取って、2年に上がるときに振り分けようとか、流動的なカリキュラムにしようとか、ほとんど一つの学部として完全なところまで、お互いの教官が何回も相談してでき上がったのですが、残念ながら何回文部省に行っても「それはまかりならん」と、相手にされませんでした。その後、私が去った後も宮崎の獣医学科は、畜産や水産の一部と一緒になって、ぜひ宮崎大学に獣医学教育を残したいという学部案を最後の最後まで通しました。大学の事務局長を先頭に、時には代議士にも頼んで強力に動いたと聞いておりますが、文部省は頑として、「獣医は絶対獣医でないといけない」ということで切られました。私自身は宮崎案のほうがいいと個人的に思うのですが、文部省段階では絶対にだめで、「獣医は獣医として、他と一緒にやるようなものは学部として認めない」という大きな方針だか何だか知りませんが、そういう事実がありました。

 

高橋  それでは時間が来ましたので、これで一応閉じさせていただきたいと思います。きょうの合同委員会の趣旨とするところは、獣医学と畜産学とがお互いに両立する形で協力体制をつくっていきましょう、そういうことを率直に話し合って、心を開いた形で今後の話を進めていきたい、そういう糸口をつくりたいと思って、きょう開催させていただいたということでございますので、ここはこれで閉じてしまいますけれども、これからも続けて議論していただきたいと思います。きょうはどうもありがとうございました。

 

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