1998年6月25日

獣医学教育国際化状況調査 (ヨーロッパの現状調査)報告書

 

T.参加者

*赤堀文昭(大学基準協会獣医学教育研究委員会幹事、麻布大学)
*唐木英明(全国獣医学関係大学代表者協議会会長、東京大学)
*鈴木直義(大学基準協会獣医学教育研究委員会委員、元帯広畜産大学)

U.視察先

*ドイツ:ミユンヘン大学獣医学部
*ドイツ:ペルリン大学獣医学部
*ペルギー:ゲント大学獣医学部

V.視察目的

 獣医学教育の国際化状況は、米・カナダ圏および大英連邦圏では既に獣医科大学教育の規格化が終了している。また、EU参加15か国では1999年まで に49獣医科大学(獣医学部)のE. A. E. V. E. (European Association of Establishments for Veterinary Education) による外部評価が終わり、EU内 統一基準による獣医学教育が進められる状況にある。これら3極間の獣医学教 育の基準には大きな差のないことから、Doctor of Veterinary Medicine (DVM) や獣医師資格の相互承認は時間の問題であろう(ただし、資格相互承認は開業免許の相互承認を意味しない)。この世界の動きから取り残されているのが、 日本をはじめとする極東地域である.このような背景にあって、今回、EU参加 国のうち、ドイツとペルギーにおける獣医学教育の現状を視察した。

 視察の要点は

1)E. A. E. V. E. による外部評価を受けた、あるいは受ける予定の3獣医科大学 (獣医学部)における、(1)教育基準、(2)E. A. E. V. E. の評価結果、(3) 東・西ドイツの統一によるペルリン大学獣医学部の再編時および再編後の間題点と実状調査

2)E. A. E. V. E. による獣医科大学(獣医学部)評価の実状調査

3)卒後教育としての専門家教育制度の現状調査 である。

X.視察(内容)結果

1.EU内獣医科大学(欧医学部)の教育の現状

 1)獣医学教育の基準

  国によって教育内容に多少の差はあるが、いずれもE. A. E. V. E. の最低要求基準(資料−1,2)を満たしている。

 ドイツには

   *Tierarztliche Hochschoule Hannover
   *Tiererztleche Fakultat, Universitat Munchen
   *Fachbereich Veterinarmedizin,Universitat Giessen
   *Fachbereich Veterinarmecizin, Universitat Berlin
   *Veterinarmedizinische Fakultat, Universitat Leipzig

の5獣医大学(獣医学部)があるが、その教育内容は共通しており、5年間の 専門教育を5,005時間で行っている。

学生数(入学定員):  ハノーバ大学     約300名
              ミユンヘン大学     約230名
               ギーセン大学     約210名
              ペルリン大学      約200名
              ライブチッヒ大学    約100名

  ドイツでは大学入学資格試験に合格すれば、学生は希望する大学に進学するこ とが下きるので、各大学は入学学生を制限できない。最近の女子学生の占める割 合は85−90%となっている。

卒業生の進路:ドイツの獣医師の職域は60%が公衆衡生関係(mear/milk/ environment hygiene)へ進み(10−20%は開業している獣医師が週に何日間 か、食肉検査所で仕事する;開業獣医師の職域としての公衆衛生分野)、40% は産業動物・馬および小動物の臨床(開業)へ進む。女子学生は小動物臨床指向 である。カリキュラムは各大学ではなく、文部省が決定し、全大学がカリキュラム に従つて教育を行っている。

教育方法:臨床教育では1つの疾病に対し、各分野の教授が参加して教育する方 向になっている。臨床に加えて公衆衡生分野が獣医師の職業上重要となってきた。 それゆえ、公衆衛生の教育では、ドイツ、オーストリア、スイスなどドイツ語圏 で(公衆衛生)教育の新しい核がスタートした。

教授任用:自校の助教授からの昇任人事はない。

*ミユンヘン大学(資料−3)

  ミユンヘン大学は獣医学教育の内容がEU内でも最も充実した大学の1つであ り、E. A. E. V. E. の必要最低基準を大きく上回っている。また、米国の獣医科大学 獣医学部)と同じレベル(国際水準)にある。ミユンヘン大学では毎年5%ず つ入学者が増えている。

 教員:学生比は279:1412=1:5.1で、教員:1学年の平均学生数は 1:1となっている。教員の内訳は以下のとおりである。

     臨床:教授 26名、助教授 22名、助手 171名
     基礎:教授  6名、助教授  4名、助手  50名
     教務職員・技官:教員比は1.25:1

*ペルリン大学

  ベルリン大学は再編後、5年経過しているが、教員:学生(1学年平均学生数): 教務職員・技官比は、おおむね1:1:1である。本年、E. A. E. V. E. の外部評価 (1998年1月)を受け、その基準を満たしていることが確認され、認定され ている。実感として、施設・設備など教育内容の充実はまだ発展段階にあり、近 い将来ミユンヘン大学のレペルに達するものと考えられる。

  一方、ベルギーは6年制教育で、*Faculte de Medecine Veterinaire, Universite de Liege、*Faculteit Diergeneeskunde,Universiteit Gentの2 つの大学がある。大学進学資格試験はなく、高卒者は自分の希望する大学へ入学 できる。したがって、各大学は入学の制限ができないことから全員入学させてい る。ゲント大学の最近の入学者は約500名となっている。なお、カリキユラムは 各大学で決定しており、ゲント大学では(資料−4)1年次、2年次、3年次で 基礎科学、基礎獣医学科目を配当し、進級を厳しくして卒業時には約120名とな っている。3年次〜5年次には臨床教育を行い、6年次になると臨床のなかでコ ース制をとり、反芻動物臨床コース(40名専攻)、豚、鶏、兔臨床コース(10名 専攻)、ペット臨床コース(40名専攻)、馬臨床コース(40名専攻)がある(資 料−4)。獣医師の社会的役割として、公衆衛生面が重視され、獣医師の約40% がこの分野で活躍している。公衆衛生分野で働くためには2年問の卒後教育 (part-time studyのコース)受けて、専門家としてのDiplomaを得る必要があ る.

 卒業生の60−70%は臨床、30−40%は専門家コース〈2年間)へ進む。この他 に PhD コースへ進学する者もいるが、臨床系院生と基礎系研究院生は50%ずつ となっている。

  教員数約150名、教務職員・技官数約150名。教員:学生(1学年平均学生数) 比は3年次〜6年次でみると、おおむね1:1の比率となっている。

 教員の任用は競争原理を導入し、米国からも教授を採用している。

  このように、ヨーロッパ(ドイツ、ベルギー)の獣医学教育の現状は日本と違 い産業動物および馬の臨床教育が中心であるが、社会の要請から公衆衛生分野が 大きな比重を占めてきている(meat/milk などの food hygiene や environment hygiene)。また、小動物の臨床分野も増えてきた。そのため、これらの教育に重 点がおかれ、日本に比べ充実した教育体制が整備されている。一方、基礎研究を 含む Veterinary Science の分野が弱いことを認識し、10年間かけて、教育内容 の充実と教育体制を整えていく考えが示されていた。

2)E. A. E. V. E. による外部評価

 ミユンヘン大学は E. A. E. V. E. の必要最低基準以上のレペルにあり、米国獣医 科大学の教育レベルにも達している。1999年に評価を受ける大学としてあげ られている。

 ペルリン大学においては E. A. E. V. E. により評価認定された大学であるが、キ ャンパスが分散しており、再編後5年しか経過していないこともあり、さらに教 育水準の向上を目指している。

 ゲント大学は E. A. E. V. E. の外部評価を受け、高いレペルにあり、米国の基準 にも達していると考えられた。

3)ベルリン大学における再編成時の問題点と現状

 ベルリン大学はフンボルト大学とベルリン大学が東・西ドイツ統一により、1 つの大学として再編成された大学である。再編成時にすぺての教授、教務職員な どが再雇用された(但し、終身雇用ではなかった)。当時、2つのグループが存 在する形となっており、キヤンパスも3か所に分散していた。また、臨床例も極 めて少ないという状況や、同じ分野の教授が研究面で競合することもあった。教 育面では分担する形をとり、混乱はなかった。ミユンヘン大学と同じカリキユラ ムとし、教育は系単位で時間数を定めた。大学に残る教授、定年でやめる教授、 他に移籍する教授については、教授会ではなく大学が決定した。5年間かけて、 再編成は進められてきたが、現在、3か所に分散したキャンパスを1か所に統合 することが決定されている。教育内容も E. A. E. V. E. の基準に達している。

2.E. A. E. V. E. 活動の現状

  E. A. E. V. E. の会長は Halliwell, R. E. 教授(英国、エジンバラ大学)であり、 委員会のメンバーおよびE. A. E. V. E. の役割は資料−5および資料−6のとおり である。

事務局は Mr.S. T.Allman: 34 Rue Leys,1000 Brussels, Belgium

Tel:322−736−8029
Fax:322−733−7862 である。ただし、会長以下の役員は1998年5月の総会で交代する予定である。

  E. A. E. V. E. は評価の申し入れのあった EU 内獣医科大学(獣医学部)に対し、 日程を調整し、第三者の評価委員会メンバーを(要請のあった)大学に送り、い くつかの項目について、予め自己評価されたもの(資料−7)を中心に、すなわ ち、@大学の理念、A大学の組織、G大学の財政状況、C大学の施設・設備、D 教育状況、E図書館などの学生の自主学習施設、F入学者数など、G入学資格な ど、H教員(数、講座、待遇など)、Iカリキユラム、L卒後教育・大学院教育、 Kインターンおよびレシデント制度とその内容、L研究状況などを評価する。また、5、6年次における臨床教育の充実度の評価と学生から教授までの幅広いイ ンタビユーを実施している。

  E. A. E. V. E. は約1過間の訪問評価の後、緊急性の改善項自がある場合、委員会 の議を経て、評価要請のあった大学へ通知し、6か月(あるいは1年)以内の改 善を要求する。また、短期、中期、長期の改善勧告も提示する.緊急性のある勧 告に対応しなかった場合、E. A. E. V. E. は EU 裁判所に提訴する。そこまでが、 E. A. E. V. E. の役割とされている。対応しなかった大学に対し、裁判所はおそらく、 その大学の卒業生は他の地域では DVM や獣医師としての資格を認めない判決を示 すだろうといわれている(E. A. E. V. E. としてはこれまで裁判所に提訴したことは ない)。E. A. E. V. E. は自らが評価の結果を公表しない。評価の公表は評価をうけ た大学に任されている。近いうち、ドイツのハノーバー大学は公表するといわれている。各獣医科大学(獣医学部)の E. A. E. V. E. による再評価は一定期間毎(5 〜10年の間)、受けることになるだろう。

 1986年から始まった E. A. E. V. E. の EU 内獣医科大学(獣医学部)の評価スケジユール(資料−8−@)は1999年に終了するが、本年度(1998年)は11獣医科大学(獣医学部)が評価を受ける予定である(資料−8−A)。

  トルコやスペインでは E. A. E. V. E. の必要最低基準に合致しない小さな獣医科大学を多くつくろうとする動きがあり、質の充実を図らなけれぱならない時に、 量の充実に問題をすり替えている。その原因は地方の政治家の圧力にあるようで ある。E. A. E. V. E. はこれらの大学の卒業生の資格を EU 域内では認めない(資格 はそれぞれの国内に限る)

3.EU 内の専門家制度の現状

 EU 各国の獣医学教育を終了した者に対する Diploma (例えば、フィンランドの Elainlaaketieteen Lisensiaatti; ELL、ドイツの Veterinarmedizinisches Staatsexamen など)や大学院を含む卒後教育を受けた専門家に対する Diploma フ ランスの Certificat d'etudes superieures; C.E.S.、ベルギーの Licentiaat な ど)の呼び名は統一されていない(教育期間もまちまちである)(資料−9)。ま た、European College of Veterinary Surgeons が2年間の専門家教育で Diploma を出しており、近い将来、米国との間で相互認定する予定となっている。この他、 ベルギーのゲント大学では卒業後2年間の part-time study コースを設け公衆衛 生の専門家(meat hygiene)や、実験動物の専門家を養成している。また、full-time study として馬、反芻動物、豚の専門家を養成している。

  このようにヨーロツパでは専門家養成に力を入れ始めており、近い将来、米国 などとの間で相互認定された国際的専門家制度が確立されるであろう。

X.まとめ

概要:視察の結果、ヨーロッパの獣医学教育基準は教育の目的を臨床教育と公衆 衛生教育に絞って極めて明確にしていること、その教青は日本に比べてか なり高いレペルにあることを改めて認識した。とくに、教育施設の規模と 臨床教育および公衆衛生教育の充実の程度には大きな差がある.一方、日 本の基礎獣医学系の研究はヨーロッパの獣医科大学(獣医学部)より高い 水準にあるといえよう。

1.臨床獣医学教育:ヨーロッパの家畜頭数、とくに馬の頭数は日本に比 べて非常に多い。さらに、動物愛護の精神の高揚により動物、とくにコン パニオンアニマルに人間と同様の高度医療を施す必要が生まれたこと、ま た、人間の疾病治療・リハビリテーションに動物介在療法(アニマルセラ ピー)を普及させる獣医学の取り組みが行われていることなど、新しい状 況もみられる。このようなヨーロッパと日本の実状の違いを考慮しても、 あるいは考慮すればする程、日本の小動物臨床教育および産業動物臨床教 育とも量的、質的充実を図る必要がある。

2.公衆衛生学教育:ヨーロッパでは獣医学の発達の歴史が物語るように、 乳肉衛生、食品衛生を中心とする公衆衛生分野を極めて重要な職域として 位置づけており、その教育内容は充実している。一方、日本では基礎、臨 床、公衆衛生という獣医学の三本柱の一本になっているものの、その内容 は極めて貧弱である。公衆衛生学教育の大幅な改革と充実が必要である。

3.基礎獣医学教育:日本の基礎猷医学教育は臨床および公衆衛生教育の 立ち後れに比べてヨーロッパとの差は小さい。研究に関してはむしろ日本 が高い水準にあるといえよう。これは日本の特徴として、獣医科大学(獣 医学部)卒業生のかなりの部分が医薬品の開発や食品産業、生物産業の分 野で活躍していること、大学院教育を重視していることなどの理由による。 しかし、日本では基礎獣医学担当教員がほとんど臨床に関与しないなどの 状況にあり、臨床を理解するための基礎教育をさらに充実すべきである。

4.教育の規模:ヨーロッパと比ベ、日本の獣医学教育は規模が極めて小 さい。たとえぱ、ヨーロッパ基準では学生数1学年100名の場合、教員 数は100名以上必要であり、日本でいえば医学部に近い規模で獣医学教 育を行っている。また、ヨーロッパの獣医科大学(獣医学部)付属病院 は日本の医学部付属病院並みであり、日本の大学付属家畜病院は欧米の 個人病院のレペルに達していないところもある。視察、留学、交流など の目的で訪れる海外からの獣医学関係者の増加と共に、我が国の実状は 海外でも話題に上がっている。欧米と対等な教育を実施していることを 主張する大きな根拠は教育の規模であることは間違いなく、この点の早 急な改善が必要である。

5.専門家制度:ヨーロッパでは Diploma 制や卒後教育の内容を米国の レベルに合わせる努力をし、Diploma の相互承認を進めようとしている。 我が国においても、獣医師に対する専門家制度とそのための卒後教育の 充実を図るべきである.

結論:国際的な物流の増加、動物愛護精神の高揚、動物介在療法〈アニマルセ ラピー)の普及、そして、すぺての面においてグローバリゼーションが 進行するという事態を前に、獣医師の質の向上と均質化が世界的な課題 となっている。それゆえ、EU と北米が獣医学教育基準を統一したとき、 日本の教育基準がこれより低いこと、および日本と欧米の教育年限は同 様であるが学生に対する教育内容に大きな格差のあることを考えると、 こうして生まれる猷医師の質に差のできていることについて早急な対策 を講じなけれぱならない。この努力を日本が怠った場合、日本の獣医学 教育は国内だけでなく国外からも厳しい指摘を受けることを覚悟しなく てはならないであろう。国際基準適合を目指した大学の再編整備は緊急 かつ極めて重要な課題である.

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