スイス・ベルン大学獣医学部 調査報告書

 

全国獣医学関係大学代表者協議会 唐木 英明

 


 

スイスの2獣医学部の再編

 スイスのような小さな国において2つの獣医学部を維持すべきかどうか疑問があった。これらの2学部がある地域には歴史的な理由があり、それぞれの州は事実上違う国なのである。そして、2つの獣医学部は今日我々が知っているスイス連邦が成立する以前にすでに存在していたのである。さらに、大学に関する事項は各州の先決事項なのである。この何年間もスイスに2つの獣医学部を維持すべきかどうかくり返して議論が行われた。最近、経済的理由もあり、スイスのすべての大学間でより緊密な協力が必要であることが強く認識されつつある。そしてベルンとチューリッヒ両州の文部省が最近歴史的な決定を行った。そして当局は両獣医学部に対して再編の計画を完成するよう指示した。その目的はスイスの獣医学部を1つにすることである。実際的な理由により2つのキャンパスはそのままにする。そして学部教育は現在の2箇所で継続する。しかし、大学院教育、専門教育、研究、そして専門的サービスは2ケ所に分散する。このプロジェクトを実施するために作業グループが編成された。政府はこのプロジェクトの2004年の完成を目指している。

 

調査結果

 

1)ベルン大学獣医学部の現状

 ベルン市はスイスの主都であり、ユングフラウ山域から流れ出すAare川が作る峡谷に囲まれた、古く美しい街である。とくに市庁舎のテラスから眺める峡谷と、羊が遊ぶ対岸の草地の風景は美しい。ベルン大学本部は市の繁華街に近いベルン中央駅に隣接した場所にある。獣医学部と医学部は大学本部から1キロメートルほど離れた医学系キャンパスにあり、後ろには野生の鹿が遊ぶブレームガルテンの森が広がる。獣医学部は図書館などを含む本部棟、基礎研究室棟、大動物臨床棟、小動物臨床棟などの建物から成る。医学、獣医学の基礎教育の一部は共通のカリキュラムで行われている。

 ベルン大学獣医学部はヨーロッパの他の獣医学部に比べて特に前臨床(preclinic)部門(微生物学、ウイルス学、寄生虫学、免疫学、遺伝学、薬理学など)が充実している。建物、施設、設備も充実し、バイオメディカル部門も最新の器機が揃っている。大学院も充実し、多くの研究成果が一流科学雑誌に出版されている。ちなみに、大学の実情を話してくれた副学部長は薬理学の教授であり、薬理学では最も権威ある科学雑誌の一つである、Naunyn-Schmiedeberg's Archive of PharmacologyのEditorial Adovisory Boardのメンバーであり、同様の雑誌であるEuropean Journal of PharmacologyのEditorial Adovisory Boardのメンバーである唐木とは大変に話が弾んだ。

 スイスでは医学、歯学、獣医学、薬学は医学系を構成し、学生は各地の大学でほぼ共通の基礎教育を受け、1年後の試験(国が行う)を受け、合格者はベルンあるいはチューリッヒの獣医科大学に進学する。一般にフランス語を得意とする学生はベルンに、ドイツ語を得意とする学生はチューリッヒに進学する。スイスではフランス語とドイツ語は共に公用語であり、教育は両大学ともフランス語、ドイツ語の2ヵ国語で行う。

 学生数は進学時には一学年60名程度であるが、進級試験が厳しいので落第するものが多く、卒業できるものは45名程度である。ちなみにチューリッヒ大学は進学時学生数約80名、卒業時60名程度であり、スイス全体として獣医学科卒業生は100名強である。

 ベルン大学獣医学部の教授数は27名、その他助教授、助手を合わせて約60名である。チューリッヒ大学獣医学部もほぼ同様の規模である。この規模はEAEVEの新規開校基準である学生数1学年100名、5年教育では教員数100名に比べて1/2強と小さい。

 

左からベルン大学Friess獣医学部長、唐木、Scholtysik副学部長

 

2)EAEVEによる評価

 1995年夏にベルン大学獣医学部とチューリッヒ大学獣医学部はそろってEAEVEによる評価を受けることになった。そして1つのEAEVE評価委員会が両大学の評価を行うことになった。しかし、1995年秋にチューリッヒ大学獣医学部は理由を示さずに評価を受けることを取り止めた(両大学ともEAEVEのメンバーではないため、評価を受ける義務はない)。そこで、ベルン1大学で評価を受けることになった。ベルン大学は自己評価報告書を作製し、1996年3月31日から4月5日の6日間に渡って評価が行われた。その結果は以下のとおりであった。

 1 カリキュラムには、「理論教育を偏重して、実地教育が不足している」という問題が指摘された。理論と実地のバランスをとるために、問題解決型の学習、総合型の学習、選択コースの導入を行う他、最終学年を「講議なし」とし、この間32週間に渡って学生は臨床と傍臨床実習(paraclinic)を行う。現在この機関を36週まで延長することを検討している。

 2 「いくつかの前臨床の教科は医学部において教育されているが、そのために特に生理学などについては獣医学に適した教育内容になっていない」。この指摘に対処するために、生理学のシラバスを根本的に書き換え、獣医学の課題を取り入れた。さらに授業と実習の両方を獣医学の教員が行うことにした。

 3 「スイスでは大学の試験はすべて国家試験であるが、この試験制度が融通性に乏しく、古すぎる」。この指摘により連邦政府も動いて、医学、獣医学を含む医学教育機関が進級試験などほとんどの試験を行い、一回の中間試験と最終試験だけを国が行うように改革された。

 4 「獣医学部は講座(institute)制を取り、多くの講座があるが、教育・研究の効率化を計るためにその数を減らすこと」。これに答えるためにまず臨床関連講座をまとめて「臨床大講座(department)」にした。この講座には13の独立したユニットがあり、これらは互いに協力して教育に当たる。さらに傍臨床関連講座も前臨床関連講座もそれぞれ「大講座」にまとめ、最終的には3大講座制とする予定である。

 5 最後に、「ベルン大学の最大の問題点は規模が小さいことである。その規模は獣医学教育の全体をカバーするための最低基準(EAEVE基準)より小さい」。この指摘を受けてチュリッヒとベルンの両州政府は両大学の再編を指示した。そして、2ケ所の施設はそのままにしたまま一つの獣医学教育施設とし、共通のカリキュラムを組むことにした。

 

3)カリキュラムの改革

 チューリッヒ大学との再編のために、ベルン大学獣医学部カリキュラム委員会は2000−2002年までにカリキュラムを改革する。この委員会のメンバーは前臨床、傍臨床、および臨床教員、「Mittelbau」(獣医師以外の職員)、学生の代表である。この計画はチューリッヒ大学の計画と整合性を計ることになっている。

 1995年にベルンとチューリッヒの獣医学部は改革の目標として以下の事項に合意した。

 ・獣医学のカリキュラムは獣医臨床のすべての分野に関する基礎的な知識と技術を授けるものとする。獣医師の国家試験受験資格を得るために5年間の大学教育を必要とする。この教育の後に卒後研修を終了しなければ臨床開業免許証を受けられない。

 ・カリキュラムの目的は1)包括領域のプロセスとコンセプトの理解、2)問題の批判的分析力、3)人間、動物、環境に対する責任感、4)文献の批判的分析、そして、5)対人関係と生涯教育、を助けるものとする。

 この目的に沿って、ベルン大学獣医学部は1997年6月に以下のコンセプトを採用した(表1参照)。1)第1学期は獣医学のバイオメディカル分野に集中し、ここには生物統計学、解剖学、生理学の基本も含む。2)第2学期は次年度以降の臓器別学習に向けて学生は主要事項についての一般的な学習を行う。3)第2学年および第3学年のほとんどは包括領域の臓器別学習を行う。このような包括的教育と「教室から離れた」講議により前臨床、傍臨床、臨床教育の統合と、新しい教育法の採用が可能となる。第2学年と第3学年の学生がこのコースを受講する。コース別学習に先立ち、臓器別の区分に適さない分野についてのブロック学習を行う。これには第2学年の微生物学総論、第3学年の畜産学(繁殖学、栄養学、疫学を含む)がある。第4学年には主要症状に基づいた包括的な問題解決型の学習を行う。この学習は最終学年での臨床ローテーションの準備となる。最終学年では大学における必修の臨床ローテーションおよび学生が自分の興味で選び、大学の内外で行う選択ブロックを行う。ちなみに、現在ベルン大学獣医学部の第5学年において実施され、新しい計画でもその概要が受け継がれる予定である実習ローテーションプランを表2に示す。

 

4)まとめ

 ●ベルン大学獣医学部の教員総数約60名(技官は含んでいない)、1学年の学生数平均約50名という規模は、我が国の実情に比べると羨ましいくらい充実している。しかし、EAEVEの指摘は厳しく、最低100名の教員がいないと獣医学教育全体をカバーできないとして、スイスの2大学の再編を命じている。我が国の大学基準協会の「教員数最低72名」という基準は、EAEVE基準に比べても最低限度のものといえよう。

 ●ベルン大学はヨーロッパの他の獣医科大学に比べて前臨床部門(日本でいう基盤部門)が充実し、研究活動も盛んである。その意味では我が国の獣医科大学と似ていると言える。しかし、同時に公衆衛生部門、臨床部門の充実は我が国とは比べ物にならず、とくに大動物病院は非常に立派で、教育も充実している。しかし、ここでもEAEVEの指摘は厳しく、「理論偏重、実地教育軽視」と断じている。我が国の獣医学教育がベルン大学に比べてもさらに公衆衛生教育、臨床教育が弱いことは問題であり、早急な対策が必要である。

 ●スイスはEUには参加していないし、従ってEAEVEにも参加していない。だからEAEVEの評価を受ける必要もないし、その勧告に縛られる必要もない。にもかかわらずベルン大学は評価を受け、その勧告は評価を受けなかったチューリッヒ大学を含め、スイス政府として受け入れて、対策に取り組んでいる。これは再編により効率的な教育を行うという経済的な理由とともに、ヨーロッパにおける獣医学教育の常識的なレベルに達しないことがスイスの国益に反するという判断があるためであり、その根拠はスイスの獣医科大学卒業生が教育格差による不利益を被ることを避けること、そして公衆衛生分野での教育レベルを他の国と一致させ、国境を超えて移動する畜産製品、食料の安全性の確保に支障を来たさないよう配慮することなどである。事実上の国境の消滅はヨーロッパだけでなく世界規模で起こりつつある。スイスの選択は我が国でも多いに参考にすべきであろう。

 ●ベルンとチューリッヒの再編整備は、大学の場所は移さずに、カリキュラムを統一して、両大学の専門を調整して1大学の構成とし、学生と教員が約120キロの距離を移動するという形となる予定である。その理由は、それぞれの地域がフランス語圏とドイツ語圏という違いなど、歴史的な背景を抱えていること、それぞれの地域政治家の意向がかかわっていると聞く。大学の教員は1ケ所に集まらなければ本当に効率的な教育ができないと嘆いていた。他山の石とすべきであろう。

 

 

表1)再編整備後のカリキュラム案(1997/6/11ベルン大学作成案)

       
第1学年1学期
 予備教育:医化学、物理学、生物学、細胞生物学、生化学、分子生物学、遺伝学、生物統計学、
        解剖学、生理学など
 試験:大学による予備教育試験
第1学年2学期
 獣医学一般(講議と実習):生態学、動物倫理学、動物との付き合い方、薬理学、トキシコロジー、
      食品衛生学、実験診断法、免疫学、病理学、外科学、画像診断、麻酔学、生化学、
      分子生物学など
 試験:大学による中間試験
第2、第3学年(第3−第6学期)
 2年間に渡って講議(50%)、実習と小グループ(30%)、自習(20%)を行う。
 第3学期秋約4週間 微生物学(細菌学、菌学、寄生虫学、ウイルス学)。
 第5学期秋約4週間 動物技術(飼育法、栄養学、行動学、伝染病学)。
 残りの約52週は臓器別ブロック学習:運動器官、神経系、循環系、呼吸器系、泌尿器系、生殖器系、
       血液、免疫系、消化器系、内分泌系、代謝系、泌乳器系、皮膚、感覚器系、
       家禽・魚類・愛玩動物など
 試験:スイス連邦試験
第4学年(第7、第8学期)
 病因を特に考慮し、症状を中心とした問題解決型の学習を行う。
 約27週間の内容:嘔吐/下痢、疼痛、発咳、貧血、かゆみ、不妊、難産、衰弱、運動障害、
             多尿、昏睡/ショック、代謝/ホメオスタシスなど
 夏休み後の約3週間:臨床微生物学講議と実習
 試験:口頭試問
第5学年(第9、第10学期)
 臨床実習:臨床ローテーション
 ローテーション:病理、微生物、ウマ、ウシ、ブタ、小動物、愛玩動物、獣医関係法規、
           獣医公衆衛生、選択実習など
 試験:スイス連邦試験
   
表2)ベルン大学獣医学部における1997年度の実習ローテーションプラン

  ・97年9月13日開始、98年5月30日終了(スイスの学期は9月に始まる)。
・学生は最終学年である第5学年は教室での講議は受けず、グループで1年間実習を受ける。
・実習は問題解決型を中心とする。
・各グループは6−7名程度、7グループで総計45名程度である。


87/42−45 46−49週 50−98/3週
2週は休み
4−7週 8−10週 11−14週 15−18週 19−22週 23週以後
グループ1 小動物 自主学習 選択 ウマ コース1 病理/微生物 ウシ ブタ/繁殖実習 コース2
グループ2 ブタ/繁殖実習 小動物 自主学習 選択 コース1 ウマ 病理/微生物 ウシ コース2
グループ3 ウシ ブタ/繁殖実習 小動物 自主学習 コース1 選択 ウマ 病理/微生物 コース2
グループ4 病理/微生物 ウシ ブタ/繁殖実習 小動物 コース1 自主学習 選択 ウマ コース2
グループ5 ウマ 病理/微生物 ウシ ブタ/繁殖実習 コース1 小動物 自主学習 選択 コース2
グループ6 選択 ウマ 病理/微生物 ウシ コース1 ブタ/繁殖実習 小動物 自主学習 コース2
グループ7 自主学習 選択 ウマ 病理/微生物 コース1 ウシ ブタ/繁殖実習 小動物 コース2


コース1:食品衛生、乳衛生、繁殖掌、と場実習、獣医伝染病
コース2:国家試験準備、学生主導の演習とコロキウム

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